『記号と事件ー1972-1990年の対話』ジル・ドゥルーズ

記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫)

記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫)

6/5読了。今年58冊目。
1972年から1990年までのドゥルーズのインタビューやエッセイをまとめた本。「ドゥルーズ自身によるドゥルーズ入門」という紹介につられて読んだ。インタビューの多くは、聞き手が『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』などの著作を読んでいることを前提に話されているので、ドゥルーズ思想にまったく触れたことのないぼくにはほとんど理解できない。かろうじて、「哲学とは概念を想像する学問だ」というドゥルーズの姿勢だけは伝わってきた。
インタビューを読んで哲学者に入門する、という方法はあまり効率的ではない。入門書や解説書を何冊か読んでその哲学者の思想全体をぼんやりと把握したうえで、哲学者の著作に挑戦していく、というのが一般的な順序だ。でもぼくは、ドゥルーズに関してはその方法をとりたくなかった。
たとえば『アンチ・オイディプス』を覗くと、そこには独特の世界が広がっている。エクリチュール自体が生きているような奇怪な感触。語られる論理だけではなく、その文体を選び取る姿勢を重視したかった。だからあえて、正攻法ではなく、直接ドゥルーズ自身の言葉に触れたいと思った。

つまり一冊の本を読むには二通りの読み方がある。(中略)もうひとつの読み方では、本を小型の非意味形成機械と考える。そこで問題になるのは「これは機械だろうか。機械ならどんなふうに機能するのだろうか」と問うことだけだろう。読み手にとってどう機能するのか。もし機能しないならば、もし何も伝わってこないならば、別の本にとりかかればいい。こうした異種の読書法は強度による読み方だ。つまり何かが伝わるか、伝わらないかということが問題になる。説明すべきことは何もないし、理解することも、解釈することもありはしない。電源に接続するような読み方だと考えていい。(21ページ)