着地の人生 人生への着地

おうちの中に大きなテントを張って家族ですごしていたら、にいちゃんがからかってきた。わたしはいやになって、テントの網の部分をやぶいて、外に出た。外と言っても、台所。台所でおかあさんがいろんなご飯を作ってた。「おかあさーん、あのね、あのね、にいちゃんがね」と泣き寄ると、わたしをほとんど重要視しないで、テントに向かって「天丼食べる人ー」と尋ねていた。テントのなかのみんなが「ハーイ」と返事していた。「わたしも食べる」と言った。
「遊びに行ってくるー」と小さな女の子が自転車に乗って出て行った。角を急に右にまがろうとしたから、こけそうになってた。6歳くらいかな。うちの子らしい。(姪かな。誰の子だろ。)ほしたら敵軍が攻めてきた。(子供が出て行くのを待ってるのがちゃんとしてるな。)どんどんあっち優勢になって、こっちはふすまを破るしかなくなった。マンション全体がやつの支配下におちいってしまう。これはもう絶体絶命。縄を切る。アンテナみたいに建てていたものにしっかりつかまって、縄は切られたからアンテナみたいなものは倒れてゆく。これは次の人生にうつる方法。倒れてゆきながら、地上30㍍くらいになると、新しい人生の土地が見える。畑とか原っぱに落ちると、痛みは少ない。みんな子供(8歳)になる。
新しくまた城を建て始める。どこに建てるのがよいか。敵はどこにいるか。今回は南薫小学校の校庭に建てた。建て終わり、平和な時間を過ごしていたら、敵はまたやってきた。わたしは敵の一番偉い人の部屋に行き、「つかれた」と言う。やつは「むりもない」と返事をする。この部屋で休んでいけ、と。わたしは不意にいやな予感を感じ、走る。走ってわが城へ行く。こいつの城のメンバーの部屋は和風だが、いやに汚い。わが城に到達したと思いきや、メンバーの姿が見えない。わが城のメンバー部屋は、洋風で、きれいだ。しかしどの部屋もドアが開けっ放しで、だれもいない。「ハローゥ!ハローォ!」と、人を探してまわる。わたしの部屋に着いた!と思ったら、それはすでにアンテナのようなものだけになっていた。敵軍はすでにここまで攻めてきていた。芋を撃ってくる。とっさにふすまを閉めて、攻防。しかしアンテナにも敵軍はおり、りっぱな着物を着たわが妻が「わたくしが代わりに参ります」と言う。それはいけない、と言うと同時に、立派なひげをはやしたわが参謀が「これはもうおわりでございますー!」と叫び、円状に飛びながら、アンテナの縄を切る。わたしたちはみな、「またかよ・・・」と思いつつ落ちてゆく。新しい土地が見えた。そして「せめてもっとやわらかいところに着地したいものだ」と皆で思いながら着地準備に入る。延々と続く。

かけざん

健康なときは、ちがう、とは言い切れないのだけど、やまい気味になるとますます、ひねくれた性格になってしまうのだ。つらいときにしあわせになるというのは、難しいと思うので、ある程度はそういうじぶんに寛容になろう。しかし、ひねくれるというのは、もともとにひねくれた部分があるから、ますますひねくれることもある、ということで、つまりじぶんはちょっとはひねくれた性格をしていると思うのだ。自分でそこがいやなんだけどね。
ゼロは何をかけてもゼロなので、やっぱりわたしはひねくれた部分があるのだ。ひねくれ、ゼロではないのだ。

白米になってしまった

結婚式がすんで、おうちでまたおともだちがお祝いしてくれることになって、わたしは着飾ったままおうちに帰りました。夫のけいいちくんがいないので、探し回りましたが、見つかりません。ちかくのお店のレジのひとにけいいちくんを見たかどうか尋ねると、「見てないねぇ。見てないけど、14分前には双子が来て『けいいちくんを見ましたか?』と尋ねたよ。6分前にも、4分前にも、別の人がたずねに来たよ」と言うので、みんなが探し回っているということが分かりました。わたしもお店の中を探し回ったのですが、一向に見つかりません。かなしくて、どうしよう、と半泣き状態になっていましたら、友達が白い豆の袋を買いに来ました。袋を開けて豆を出していると、そこからけいいちくんの声がするのです。「ここだよー」と。けいいちくんは、追っ手から逃れるために白米に姿を変えて、白い豆のなかに紛れ込んでいたのです。あいするけいいちくんを見つけたわたしは嬉しさのあまり、白米のけいいちくんと白い豆もいっしょに、握りしめ、よかったぁぁぁと、ほおずりしました。豆と白米のけいいちくんを分けると、けいいちくんは100ccほどになっていました。わたしは軽量カップにけいいちくんを入れ、着替えを済ませるために部屋に戻りました。けいいちくんを見つけたことを誰にも伝えていなかったので、まだみんな探し回っていました。白米のけいいちくんに気がついている人はいませんでした。

ぞろめ

おお、きょうは2月22日なのか。昨晩オーメンを観たせいか、ゾロメの数字にますます敏感になってるよ。
オーメンの666は、数字がやけにくるりとしていて、円の中に6が3つ納まっているような感じでした。こどもがにやり。
森山直太郎ってひとはどんな歌を歌うんだろう。
ほぼ日刊イトイ新聞の1コーナーで、今日の女房・今日のだんなというものがあって、以前わたしは、それをちょくちょくチェックしていたのです。ときどき面白いのがあって。今日、すっごく久しぶりに、半年くらいぶりにチェックしたら、自分も投稿できる身分になっていたってことに気づきました。うわあー。
けいたろうは、グループミーティングで、勝手にわたしがグループのウェブページを作るってことを言ったそうな。わたしは、グループの一員でもないのに。しらないよ。もう。

そのときそのときのきもち

きょうはだんなも一緒にお昼まで寝ておりました。目覚ましがなったけど、眠かったから眠り続けたそうです。そういう、そのときの気持ちで、行動をきめちゃったりするのも、ときには爽快だとおもうのです。
わたしはメールチェック、ゲームなどをしましたのち、さみしくなって、おっとのもとへやってきたのです。夫は温かくわたしを迎えてくれ、いま乳鉢で何かを砕いています。今日の晩ご飯はなんにしましょうかねえ、だんなさん。