第3回プレザンス・アフリケーヌ研究会:セゼールと『アコマ』

 午前中、新しい人生のステージへ旅立つ若者たちを見送り、午後2時より外大AA研へ。
 まずは松井裕史さん「隆起する大地の夢想−−セエールの詩学と政治」。土地+人+言語がワンセットになって立ち上がるnation。文学はその構築を担う。クレオール文学の領域はその三統一の枠に収まらないところで胎動するとはいえ、セゼールの詩学も、まずは共同体のreprésentationを目指す。松井さんの発表は、セゼールの詩学に内在する「火」、「隆起する土」といった動的活力をもつ自然のエレメントに注目する。K.L.Walkerの研究とG.G.Pigeonによるセゼールへのインタビューに基づき、バシュラールを参照項としてセゼール詩学とヨーロッパ詩学との差異を浮彫にしようとする。面白かった。グリッサンも、クルティウスの『ヨーロッパ文学とラテン中世』を参照項として、泉と草原を典型的トポスとして節度ある律動を示すヨーロッパ文学の枠から逸脱する、〈全‐世界〉の度外れた律動の表現を目指す自らの詩学をスケッチしていった。比較詩学(と僕が勝手に命名している)的アプローチは、コントラストを設定して対象の性格を浮き立たせる点で有効な方法だと思う。セゼールの詩句に懐胎される「火」「水」「土」「風」といった自然のエレメントへの注視はグリッサンへと引き継がれ、管啓次郎氏が先駆的に実践しているエコロジカルな詩学へとつながっていくだろう。
 つぎは中村隆之さんによる『アコマ』第1号〜第3号の俯瞰。グリッサンが中心となって編集された雑誌『アコマ』(1971年〜1973年、全5号、計4冊)は、セゼールらの『トロピック』を継ぐ、マルティニクの重要な人文系の論集である。2005年にペルピニャン大学出版から復刻再刊された際にすかさず買い求めたが、ずっと読めないでいただけに、今回の中村さんの報告はありがたかった。1965年にマルティニクに帰郷したグリッサンは、フランス本土からの押し付けではなくマルティニク人本来の教育を目指す「マルティニク学院」(IME)の立ち上げと『アコマ』刊行という二大事業に着手した。財政難で数年で中断したそれらの事業の検討はこれからの課題である。アンティルの総合研究を目指す『アコマ』は、チリやアルゼンチンといった南米の文化芸術、北米の黒人解放運動などアメリカスを広く視野に入れたものであった。第1号に収録されたグリッサンの論考「心的不均衡の社会的=歴史的根拠の研究への導入」はのちに『カリブ海序説』にも収録される重要なマルティニク人のメンタリティと社会分析である。「強制移住と根こぎ」「技術への無責任」「環境との媒介関係の欠如」の3点がマルティニク人の「心的不均衡」をもたらす。第2号、第3号ではチリのマッタ、キューバのカマチョなどの画家が紹介される。キューバ革命政府から反体制的と批判されていたレサマ・リマの小説『楽園』の仏訳がマルレーヌ・オスピスによって評価されたり、合衆国のブラック・パンサー党への是非が分かれたり、論調はダイナミックな振幅を示す。とりわけ興味深いのがロラン・シュヴェロールによる「フォークロア、エキゾティズム、認識」である。奴隷制を被ったマルティニクの黒人民間伝承にみられる異文化の取り込みの否定的経験が分析される。ラフカディオ・ハーンが採話した大ぐらいの「イェ」の民話。シュヴェロールはイェの話に織り込まれた多重な回折を分析する。イェは悪魔であると同時に奴隷労働を拒否する抵抗のシンボルでもある。アンティユに潜在する現実を掘り起こす作業を『アコマ』は担ったのだ。(ちゃんと自分で読まなくちゃね。)