アスベスト問題(続き)

 クボタは工場から1kmの範囲の住民にアスベスト被害の補償をするとTVが報道しました。
でも、企業の責任は勿論ありますが、もっと大きな責任は行政にあるのでは?

【ILOは86年、「石綿の使用における安全に関する条約」を採択した。日本はこれまで20年近く、この条約を批准してこなかったが、05年8月、ようやく批准した。
クボタに始まったアスベスト騒動の直後だった。
 実は、86年当時、日本政府代表が、「一般環境の汚染防止のための措置をとる」という、ILO事務局案の条項の削除を求める修正案を提出していたことが、05年9月14日の毎日新聞のスクープで判明した。ILOの議事録によると、事務局原案はほぼこの通りだったが、日本政府代表は石綿輸出大国のカナダ政府代表と条項削除の修正案を提出。採決で修正案が否決されたため、日本は批准を見送った。
 条約は、①石綿を含む製品の代替化、②石綿の吹き付け作業の禁止③労働者の健康診断−などを求め、89年に発効。現在27ヶ国が批准している。】
 また、92年にアスベスト禁止法案(廃案)を提案した社会党衆院議員五島正規氏は
語っている。
『法案を潰した張本人は・・・通産官僚です。・・耐火被覆材の中にアスベストを含有させたものを使うことを義務付けていた。含有量が細かく決められた建材には、通産省の安全のお墨付きのJISマークがつけられていました。これらの建材が有害なものとされれば、JISマークの信頼が大きくゆらぎます。そうなれば、あらゆる工業製品にJISマークをつける認定権限を一手に握る通産官僚には、ゆゆしき事態だった。・・彼らは禁止法案に必死に反対した。』
「代替化困難」が規制反対の大きな理由だった?
 『・・アスベストは乗用車、トラックのブレーキやクラッチにも使われましたが、「トヨタ」や「日産」は大半を代替品にしていました。しかし、大型車やワンボックスカーにはアスベストが使われていました。スェーデンはアスベスト規制が厳しく、ボルボは完全にノンアスベストの代替品が使われていたが、なんと、その代替品は日本が輸出していたのですよ。』

【建築物に関するアスベスト問題だけをとっても、建築までが建設省、建築後は厚生省、労働者は労働省、周辺環境は環境庁という縦割り行政が、総合的な対策を阻んできた。校舎になれば文部省も絡んだ。(省庁間の「縦割り」とは責任回避のために作られたシステムなのか)要するに、国民の健康に、責任を持ってくれたところは一つもなかったのだ。】
 国民の生命を守ると言う基本姿勢を欠いている。拉致問題をつい最近まで放置した官僚の姿勢と同じでしょう。