この二日間良い民宿に恵まれ歩き遍路の幸せを実感

12日(18日目) 金 晴れ 23℃ 31,4km(504,4km) 遂に足摺岬が指呼に
旅館並みの料理とサービスにはただ感謝

わかば―四万十大橋―民宿安宿―土佐清水市民宿旅路 6500円
朝食の品数も豊富で食べるのに精一杯の感じながら何とか食べた。宿代は6100円とビールも含んでの値段は安かったが、それ以上の心使いが嬉しかった。感謝、感謝。
MY氏は先に宿を出たので、玄関前で女将さんに写真を撮って貰ったが、2枚目以降撮れなくなったので、調べるとコンパクト・フラッシュを使い切ったので、新しいのと入れ替える。
7時10分、民宿が丁度国道と四万十大橋の交差点にあり、左側の道を女将さんに教えられた通り、幹線道路の二車線の道は所によってはきついアップダウンがあり、向こうから自転車に跨って息せき切って登って来る高校生と坂の頂上付近で出会ったので、「ご苦労さん」と、チョコレートを差し出すと嬉しそうに、「ご馳走様です」の答えが返って来た。今時の若いものも捨てたものではない。つい嬉しくなった。
四万十大橋から昨日の豪雨で水嵩を増した四万十川の上流を望む

渡船と四万十大橋の分岐点を右折し、遍路標識に沿って間もない8時45分、四万十大橋に着いた。MY氏が既にビデオカメラを回していた。4年半振りの四万十川だ。昨日の雨で川の水もすっかり濁って下流に向かってとうとうと流れていた。流石漁師は網を掛けていなかったが、観光船は一隻上流に向かっていた。上流から下流に掛けて数枚の写真をカメラに収める。大橋を二人で渡ったが風が強かったので、笠が飛ばされないよう気をつける。自販機でお茶を買おうと思ったが故障でお金が戻って来たので買うのを止める。田舎の自販機はよく故障が起きるようだ。
伊豆田トンネルに差し掛かる。このトンネルは全長1620米もある長いもので、安全対策に彼はヘッドランプを着けて先頭に立って歩き、出るのに18分も要したが、幸いバスやトラックが少なかったので楽だった。トンネルを抜けて間もなく自販機があったのでお茶を買って喉を癒す。
道を下ると水車のある休憩所に出た。右へ行くと真念庵から延光寺に行く道で、我々は左の道の川に沿って下る。
村人に飼われているイノシシの子は可愛かった

途中猪の子が繋がれていたのでカメラを向けると、特異の鼻を押し付けるように寄ってきたが可愛いものだ。道なりに先を急ぐと間もなく、下の加江の村が見えて来た。郵便局でお金を下ろし、民宿安宿に着いたのは12時10分だった。
無難なチャーハンを注文した後、一先ず荷物を整理して今夜の宿に向かう準備をする。暫く振りで会った親父と息子は変わらない笑顔で迎えてくれた。カウンターの奥では奥さんが忙しそうに料理を作っていた。親父に、買った靴が慣れないので痛くて参ったと足の状態を見せると、例の早口で、
「これは痛そうだ。下から四つ目の穴から紐を通すと先の部分が緩くなって歩き易いし、豆も出来にくい」
 成る程、早速紐を外して下から四つ目の穴から紐を通して、上をしっかり結ぶと確かに爪先に余裕が感じられた。多くの遍路の人たちにも教えたことだろう。また、
「大岐の浜も昨日の雨で増水しているので渡れないかも知れない」
と注意する様にと教えてくれた。食事を終えて親父に明日の宿を予約して最小限の荷物をリュックに詰める。彼は昨夜民宿星空を予約した由。
 1時40分、宿を出ると直ぐ、下の加江橋を渡りその先は緩やかな登りが続く。久百々(くもも)から遍路道を通りホテルの裏側から国道に出ると大岐の浜の彼方に漸く足摺半島
室戸岬から九日振りに足摺半島を望む、明日は岬に立つ

が見えて来た。白砂は前回同様陽を受けて輝いて見えたが、安宿の親父の言うように、昨日の雨で川が渡れないことがはっきりしたので迂回路を通る。
 間もなく向こうから来たバイクが我々の前で止まり、
「Kさんですか、民宿の旅路ですが荷物を積んで下さい、宿まで持って行くが、この先に小学校があり、そこからは宿は直ぐです」
 願っても無い話に早速荷物を運んでもらうことにしたが、肩の荷が下りた感じとはこの様なことを言うのかと、空気の上を歩いている感じがした。彼には悪かったが。
向うから小学生が三人来たので、「学校ははどこか」と聞くと、「その角を曲がると直ぐです」の答えに一安心する。間もなく、右手に「エホバの王国」の標識が見えその先に民宿星空が、左手に旅路が見えて来た。ここで彼と別れる。
 二階の部屋で浴衣に着替えて風呂に入り、湯船に身体を横たえながら何時もの様に足を揉む。安宿の親父が教えてくれた靴紐の結び方が功を奏したのか、爪先の痛みは治まったようだ。今夜も貸切だ。
 夕食はお婆ちゃんの手造りの料理がテーブルに数多く並べられていた。先ず地元で「目一」と言う魚の刺身は鯛のよう味がして旨かった。カマスの姿寿司はお婆ちゃんの十八番と、爺さんが教えてくれた。北海道のツブに似た貝を楊枝で出して食べたが、これも旨かった。その他食べ切れないほどの料理を、宿の老夫婦と遍路の話をしながら食べるひと時は、遍路ならではの至福の世界だ。
爺さんの若い時の話を聞くと、30代で70人ほどの漁師を使って鯨や鮪を初め鰹やブリ等の魚を取って来た自慢話を聞いたが、今でもその当時のことが忘れられないようだ。民宿星空の主人も漁師との話をすると、「あんなペーペーが」の返事が返って来た。お婆ちゃんに悪いが、おかずを食べ切れないので残してしまった。
鼻っ柱の強い旦那に仕え、浜の栄枯盛衰を眺めて来たお婆ちゃんが残した言葉、「今が一番幸せだ」の一言が心に響いた。
民宿には馴染まない法律の本が書棚に数多く並んでいたので、お婆ちゃんに、「誰の本ですか」と聞くと、
「息子の本で大学の法科を出て、教員をして、孫が5人いる」
 先ほどの「今が一番幸せだ」の言葉を思い出しながら、この幸せが何時までも続くことを祈らずにはおれない。宿帳に記入をした際、朝日新聞で永い間「天声人語」を書いた、辰濃和男(74)のコメントが載っていたが、主人がバイクで迎えに来てくれたことも書いてあった。
 部屋に戻り、ST、FY氏に携帯のメールで近況を知らせる。その後、この二日間の民宿に恵まれたことを思い返しながら日記を記す。
 明日は愈々足摺岬に到達する。予報によると天気は先ず先ずのようだ。