伊藤咲子>ユーミン


大ファンというわけではないが、ユーミンのことは好きである。
しかし、ユーミンとの出会いは、自然発生的ではなかった。ユーミンのほうから私のところへ降りてきてくれることは決してなかった。もっぱら、私のほうがユーミンに近づこうと努力した。
なぜって、ユーミンは全くといっていいほど、テレビの歌番組に出なかったから。
私の子供の頃は、家族全員でひとつのテレビ番組を見るのが当たり前だった。
歌番組もしかりで、ザ・ベストテン以前の「ロッテ歌のアルバム」「紅白歌のベストテン」などは懐かしい。
それらの番組を通して、百恵ちゃんが好きになり、ちあきなおみインパクトに圧倒され、ジュリーはすごく目立つなぁ、秀樹はカッコいい・・・と、子供心に胸をときめかせたものだ。
歌手のほうから、テレビの前の私たちに近づいてきてくれた。
ユーミンは違う。小学生の頃から存在は知っていたが、なにか得体の知れない禁断の果実というイメージがあった。
ユーミンを聴くようになったのは、禁断の果実の味も知りかけた高校生の頃だ。なんていうと神秘的だが、要は、クラスメイトに「ユーミンを聴かないなんてダサい」と言われたくないばかりに、必死になってラジオを聴き、アルバムをチェックするようになった、というだけのことだ。
しかしそれも、古きよき時代の話。平成に入ってからは、歌番組の凋落とともに、「ユーミン的でない」歌手も、こちらからCDを買うとかしない限り近づけなくなったし、いまやユーミンのアルバムセールスも落ちた。

そんなことを考えていたら、先日の「NHK歌謡コンサート」で、伊藤咲子が「ひまわり娘」を歌っていた。
彼女のことは、百恵ちゃんほどでないにせよ、わりと好きだった。人気が長く続かなかったのが残念だった。
久々のお姿拝見だったが、「ひまわり娘」を聴いている途中から、私は微笑んでいた。とても幸せな気持ちになっていた。タイムスリップというのとも違う。「サッコ」は歌う前にごく自然にお辞儀をし、歌ってる最中は笑みを浮かべ、歌い終わるとまたピョコンとお辞儀をした。その3分間ほどの一連の流れが、私にはとても魅力的に映った。サッコはいまでも、サッコのほうから私のところへ降りてきてくれている・・・。曲が「ひまわり娘」ではなく、「木枯しの二人」だったとしても、私は同じ気持ちになったと思う。

ユーミンの曲はすばらしい。
ひこうき雲」は天才だと思うし、「ベルベット・イースター」なんかは、猛烈に愛しちゃってるといってもいいくらいだ(「赤頭巾ちゃん気をつけて」の薫クン風。古い!ところで、中村紘子さんはバリバリだけど、庄司薫さんはどうしておられるのだろう・・・)。
でも、ユーミンを聴くときの私には、多少の緊張感がある。サッコのように安心して身をゆだねることはできない。
ユーミンからは、「どう?私の曲。すごいでしょ?もし、このよさがわからなかったら、あなた感性おかしいのよ!」と言われているような気がするのである。
私は、これからもユーミンをそれなりに聴き続けるだろうが、彼女の感性と才能のまえにひれ伏すしかないのである。

伊藤咲子は、受動的に音楽を聴くことの心地よさを思い出させてくれた。何かに(誰かに)身をゆだねるというのは、とても幸せなことなんだと思う。