こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

ベトナム縦断17 ミーソン遺跡

2011年3月3日 

目覚ましをかけて5時に起床。旅に出てから早起きが続くが、まだ今のところ寝坊していない。なぜ旅行中は早起きが出来るのかふと考える。体質的な早寝早起きとか夜更かしも半分は思い込みかもしれない。

5ドルでバイクをレンタルし町を出た。外はまだ暗い。小雨がしとしと降っていた。町をしばらく西に進む。国道1A号線の高架をくぐり300m先の1A支線で左折し約2km走る。大きな川を渡ると1A本線と再合流するので少し南の610号線で右折する。610号を20㎞進んで左折するとミーソン遺跡に到着だ。だいたい1時間くらいかかっただろうか。説明すると簡単だが実際は大変だった。
途中から雨足が強くなってきて、ペラペラのパーカーでは雨の侵入を全く防げず、遺跡に着いた時には頭からつま先までずぶ濡れになってしまっていたのである。しかし僕が遺跡に着いた時、旅行者はまだだれも来ていなかった。それは僕が望んでいたことだ。そうでなければ早起きして雨に打たれてまで来た甲斐がない。

ミーソン遺跡は4世紀から13世紀までの長期にわたり、チャンパ王国の宗教的中心地として開発が続けられた場所だ。チャンパ王国はインドの影響が強くヒンズー教を信仰しサンスクリット文字を使用した。
遺跡はかなり広大でA群からK群と無機質に名前が付けられている。建物はレンガ造りでそれぞれ外壁に神々の彫刻が施されている。ただベトナム戦争時、ベトコンゲリラの拠点として使用され、それに対しアメリカ軍がB52による空爆を加えた。特に、もっとも重要で美しかったA群は1969年8月に空と地からの爆撃で徹底的に破壊されたと言われている。
入口から2㎞ほど進むと、うっそうと生い茂る草むらの中から最も保存状態の良いB群とC群が突如現れる。かつては栄華を誇ったであろうこの場所も、塔のレンガの隙間にびっしりと草が絡みついて廃墟と化している。侵すことを許さない静寂がまぎれもなく支配していた。ひんやりとした空気を深く吸い込み、この神秘的な雰囲気と一体化したような感覚にしばし身を任せた。
しかしそれも束の間で、雨がしとしと降り続け、濡れたTシャツが体温をどんどん奪い体ががたがた震え始めた。遺跡を見渡し退避場所を探した。祠はどこも休憩するスペースはないが、かつて瞑想に用いられたD群の中に入ってみると20畳ほどの広さがある。現在この部屋は彫刻を展示するための部屋となっており、格子のわずかな隙間からの光と天井の照明で最低限の明るさがあった。僕はいったんTシャツを脱いだ。見ると全身に鳥肌が立っている。タオルで頭と体を拭いて、ずぶずぶのTシャツをぎゅうぎゅうに絞り、持参していたパンとハムで自家製バインミーを作って朝食にした。ハムたっぷりのバインミーは思いのほか体をじんわりと温める効果があり、すぐに震えと鳥肌は止まった。30分ほどで雨がやみ、絞ったTシャツを再び着てD1を出た。
丁度その時フランス人のグループががやがやと遺跡に到着していた。遺跡の中に忍び込んで上半身裸でサンドイッチを食べる姿を目撃されずに済んだのは本当に幸いだった。下手したら不審人物として通報されたかもしれない。

日が明るくなり、人がやってくると遺跡の雰囲気は変わる。この静寂と神秘的な雰囲気をひとときにせよ味わえた僕はもう満足だった。

なおミーソン遺跡がツアー客で混雑していることに不平がある人は、もし時間に余裕があるのであれば、3連の塔が壮観のチエウダン、八角形の塔が印象的なバンアンを訪ねるのも悪くない。かなり小規模ではあるものの、人は少なく追い立てられずにゆっくり遺跡を味わうことができるだろう。
しかしバイクで1A号線を走るのは、危なっかしく楽しい。レンタルバイクでミーソンに行く人は追い越しはみ出しに十分に注意をしてください。