BURN THE FLOOR(バーン・ザ・フロア)★★☆☆☆

前半の真ん中ぐらい。このあたりが一番


最近こういう舞台系というかホール系のエンターテイメントに目覚めてしまった僕は、前回blast!に行ったときにもらったパンフレットにあった「バーン・ザ・フロア (BURN THE FLOOR)」というのも観てみたくなり、さっそくぴあでチケットを取ってしまった。今どきは電話しなくてもインターネットで簡単にチケットが取れるから便利だ。発券は最寄りのファミリーマートでできる。


「バーン・ザ・フロア」は一言で言うならば、ダンス・エンターテイメントである。最初から最後まで踊りまくっている。


僕は意外とこういうのが好きだと思っていた。というのも、昔、ディズニーランドでやっていた「ワン・マンズ・ドリーム」というショーの、最後みんなでそろって踊って大盛り上がりのフィナーレなどを観て、素直に感動していたからである。今考えてもあれはなかなか良質なミュージカルであったように思う。


ところが、どうもバーン・ザ・フロアは僕の好みではなかった。僕が好きなのは「統一されたダンス」なのだが、おおむね統一されているものの、なんかこう細かいところでの詰めが甘いような気がした。微妙に何もかもがずれているのだ。手の上げ下げとかが数十分の一秒ぐらいずれていたりした。今のSMAPのダンスみたいと言えばいいだろうか・・・。


もしかすると、統一されたダンスというのは素人ウケがいいだけで、目の肥えた人たちにとってはバーン・ザ・フロアのようなダンスが良いのかもしれない。それは分からない。でも僕にとってはそこがポイントなのだからしょうがない。


統一感という点では、衣装も統一されていないものが多かった。特に前半の後半なんかは、50年代のアメリカのダンスホール的な様々衣装を着たダンサーたちが踊り狂っていたわけなのだが、あまりにもてんでバラバラな色の衣装(50年代のアメリカという点では統一されているけど)なので、いったいどこを観たらいいのか分からなくなってしまった。たぶん、アメリカ人の中年の人たちがこれを観ると、懐かしくてつい興奮してしまうんだろうなぁ、などと考えていたが、そういうバックグラウンドがまったくない僕らからしてみると、特に思い入れのない世界が延々と繰り広げられているだけである。


ライティングも僕的にはいまいちで、何でここで赤いライトを当てるんだろうなぁ、とか、そういうことばかりが目に付いてしまった。


後半はなんか前半の焼き直しみたいで、あんまり目新しさがなかったなぁ。眠くなっちゃったもんなぁ。特にアクロバティックなダンスがあるわけでもなく、何か目を見張るような演出があったわけでもなかった。


最後は勢ぞろいで歌って踊って、衣装もそろっていたし、なかなか圧巻な感じがしたが、何だか気持ち的に冷めちゃってたので、何となく盛り上がりきれずに終わってしまったのである。


最後は、「さぁ、皆さんも一緒に踊りましょう」みたいな感じだったのだが、僕が常々思っていることであるが、ほとんどの日本人の遺伝子には「踊る」という部分が絶対的に欠落しているに違いない。ともかく、あのような場面でも、踊り出したいというような感情はこれっぽっちも沸いてこない自分がそこにいた。そういう人が「バーン・ザ・フロア」を観に行くこと自体間違ってるんだよ、と言われれば、もう何も言えないわけであるが・・・。


前に、知り合いの人が、ペルーから来た人と一緒にダンスの練習をかねて食事会をするから見に来てねと言われたので見に行ったことがある。僕としては、食事を食べながら人が踊っているのを見ていようというつもりであった。ところが、ドアを開けた僕が見たのは、食事は隅に追いやられ、みんなで踊りを踊っている情景であったのだ。その瞬間、そのままドアを閉めて帰りたくなったのは言うまでもないが、もう引き返すことはできないのであった。


僕も踊りを踊らされることになったのだが、「音楽に合わせて、自然に体を動かせばいいだけだよ」などと言われたものの、僕にとって自然体は「体を動かさない」ことであって、自然に体が動いたりはしないのである。その時痛感したのは、僕の中にはラテンの血は一滴たりとも流れていないという事実であった。


そんなことが「バーン・ザ・フロア」を見ていると思い出されて、何とも微妙な気分で東京国際フォーラムを後にしたのであった。


結論:ダンス系は僕は好きではないから、見に行かないこと。


とはいえ、バレエのような高度に形式化されたものは好きだと思う・・・。

東海道線の対面座席について

いま、東海道線の対面座席に座っているのだが、どうしてこの座席はこんなにも間隔が狭いのであろうか・・・。どんなに腰を引いても膝がぶつかってしまうので、うまく足の具合で膝の位置が重ならないようにしないといけないのだ。しかも現在の体勢として、向かいのおじさんが足を広げているため、僕は足を閉じていないといけない(T_T)。僕は女の子ではないので、足を閉じているのはけっこうつらいのである。股関節が勘弁してくれと訴えているが、こうやって携帯でダイアリーを書いて気を紛らわしているのだ。


でも、こうした状況に自分が立たされてみると、まだモノを保持していらっしゃるニューハーフの方なんかはけっこうつらい思いをしているかもしれない、こういう些細なところで自分が男として生まれたことに怒りを感じているかもしれない、などと思ってしまったりするわけで、人はやはり、表からは分からない悩みや苦悩を抱えているものなのだなぁ、としょーもないことについて考えたりできて、楽しい。


で、東海道線の対面座席であるが、これはいったい何を基準として設計されているのだろうか。どう考えても僕の足が長すぎるというわけではないだろうし(一度は言ってみたいせりふだ)、明らかに平均的な日本人にとっても狭すぎる。


しかしまぁ、ふと考えてみて思うのは、この車両が似合うのは、青春18きっぷ的な風景であろうということだ。四人がけの席にただ一人が座って、静かに流れ去る風景を眺めていて、小テーブルにはお茶(あの半透明な容器に入ったやつね)、というようなものなのではないか、と。


そのようなことから導き出される結論として、つまりは、この東海道線の対面座席は寂しげな旅情を演出するためにわざと間隔を狭くして人が目いっぱい乗らないようにしているのだ、ということになる。いや、待てよ。それとも、四人がぎちぎちに乗ったときに今ではすっかり失われてしまったが昔は自然と醸し出されていた寅さん的な人情味を演出するためにそうしているのかもしれない。持参したにぎりめしを差し出して「ささ、皆さんどうぞ」みたいなことをするにはあの狭さは絶妙な気もしてくる。うーむ、確かにそういうことかもしれない。さすが侘び寂びの大和国、日本の鉄道だなぁ、などと感心していたら新橋に着いたのであった。


しかしながら、せめて通勤の電車は普通の山手線的な座席にしてほしいなぁ・・・。