ハーバーマスがやってくる。

 予想以上に、はてなダイアリでデリダの死に触れている人が多くて驚きました。でも、ポストモダンの「終わった」人と、一部で言われているのはショックです。私は後期の政治的転向後のデリダに注目していたので。哲学者として、というよりは、一人の政治的主体としてのデリダが好きでした。自らの言説の現れに先回りするかのように、書き続けたデリダが。
 それはさておき、常にデリダの永遠のライバル、ハーバーマスが京都に来るそうです。(永遠のライバル、とはいえ、2人は近年、共著を出したり、9.11について共同で論文を発表したり、と距離を近づけていました。)そこで、講演会が行われるそうです。

http://www.inamori-f.or.jp/hottopics/japanese/co_kouenkai.html

11月11日(木)京都の国際会館で。無料で同時通訳つきです。私はすでに申し込みました。12日にはワークショップもあるようです。
 デリダの死を知った次の日に、この催し物を知り、慌てて申し込みました。繁盛に日本に来るとは思えないようなこの人が、なぜまた、京都に来るのか…しかも、あまり宣伝されていないようで、私には謎が深まるばかりです。それでも、目の前でハーバーマスが話しているパロール話し言葉)に触れるチャンスにめぐり合えたのはとても幸せです。今から、楽しみでたまりません。

 ハーバーマスデリダへの追悼文の翻訳が、2ちゃんねるで流れているようです。

http://d.hatena.ne.jp/paris00/20041014

2ちゃんねるのスレッドはこちら。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1097362554/140-142

消えちゃうとなんですので、こちらでも全文引用しておきます。

ジャックデリダは、彼以外にはただミシェル・フーコーが為し得たように、ある
世代の精神全体にムーヴメントを巻き起こした。この精神が、この世代を今日ま
で生きながらえさせている。しかしデリダは、フーコーのように政治的な思想家
であったにもかかわらず、彼とは違って、自分の教え子達の衝動を教習用の路線
へと引き込んでしまった。彼においては、教義の内容はもちろん、世界に新たな
視線を投げかけるような一つの語彙への習熟すら、第一義的ではない。これらも、
その一端を担いはするのだが、しかしデリダにおいて目指されているのはむしろ、
微に入り細に入るような読みや、時代に耐えうるテクストから様々な痕跡を見出
す行為そのものへの習熟なのである。アドルノの否定弁証法がそうであったよう
に、デリダ脱構築も本質的に一つの実践なのだ。多くの者が、彼が泰然と付き
合っていた重病の事を知っていた。その死の訪れが予想されていなかったわけで
はない。にもかかわらず、それは今、まるで唐突な、そして早すぎた出来事のよ
うに我々に襲い掛かる ― この死は、日常の感覚や、日頃の平静から我々を引
き裂いてしまったのである。すべての知的エネルギーを強大なテクストの内的な
読み込みに費やし、話し言葉の現前に対する搬送可能な文書の優位を寿いだこの
思想家は、きっと自らのテクストの中に生き続けるに違いない。だが我々は、デ
リダの声や、彼の現在が失われてしまったことを知っている。

それぞれのテクストが自分の破壊的な意味を放棄するまで、その毛並みに逆らっ
て読み続ける、といったような著者として、デリダは読者達の前に現れる。断固
とした彼の視線の元で、それぞれの関連は断片へと崩れ去る。揺ぎ無いと思われ
ていた足場が揺らぎ始め、二重の足場がその正体を現す。常識的な階級、秩序、
対立といったものが、逆行的な意味を開示する。我々の自宅のように見えるこの
世界は、まるで住むことがかなわない。この世界の者ではない我々は、多くの余
所者たちの中の余所者であり続ける。最後にはその宗教的メッセージは殆ど暗号
化すらされていなかった。

匿名の読者達に対して、その著者の顔を覆っているヴェールをはっきりと取り去
って見せてくれるようなテクストなど、めったとありはしない。実際デリダは、
始めて現実に相見える際には読者達を驚かせるような著作家の一人であった。彼
は人が思い浮かべるような人物とは全く違っていた ― 並外れた愛嬌は、殆ど
優雅といっていいほどで、ある意味で傷つきやすく繊細。しかしその実、交友巧
者であり、彼が信頼を寄せる人間に対しては、好ましく開けっぴろげでもある。
つまるところ社交的かつ人付きの良い人間なのだった。私はうれしく思う、六年
前、かつて我々がシカゴのそばのエヴァンストン(私は今そこでこの最後のお別
れを書いているのだが)で再会したとき、彼が再び私に信頼の情を寄せてくれた
事を。

デリダアドルノと出会うことがなかった。しかし、アドルノ賞の受賞の際に彼
パウル教会で行った講演は、思考の身振りにおいて ―ロマンティックな夢の
モチーフの秘密の襞に至るまで― アドルノの独自の精神とこれ以上はないとい
うくらい親密なものだった。ユダヤの出自は彼らの思考を結びつけるエレメント
である。ゲルショム・ショーレムという存在は、アドルノを挑発し続けたし、エ
マニュエル・レヴィナスデリダにとっての師となった。デリダの著作はドイツ
にある種の浄化・透明化作用をもたらすかもしれない。彼は、モーゼの原初にお
いて新手の異教徒的な裏切りを行うことなく、後期のハイデガーを自家薬籠中の
ものとしていたのである。

原文はこちら。

http://www.fr-aktuell.de/ressorts/kultur_und_medien/feuilleton/?cnt=522878

私はドイツ語が読めませんが、ハーバーマスデリダに追悼文を書いたことは事実のようです。翻訳は名文とは言いがたいですが、ハーバーマスのドイツ語は難解さが有名なので、ある程度は仕方ないとは思います。講演会でも翻訳が大変そうです。