るるむく日記

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デネソールと二人の息子

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この記事は、トールキン Advent Calendar 2017 の18日目の記事です。
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デネソールと二人の息子


デネソールには二人の息子がおります。ボロミアとファラミアです。武勇に優れ、部下民に慕われる、二人共に、将の器の、卓越した人物です。
外野からみれば、どちらも良くできた息子さんで素晴らしいですねぇ、というところなのですが、指輪物語その他で書かれたたものからすると、デネソールは長子であるボロミアを寵愛し、次子であるファラミアを疎んじていたようです。兄弟のどこでそういった差異が出てしまったのか、いろいろ妄想しつつ考えてみました。

ボロミアに関しては、愛する妻が生んだ最初の子供であり、自分の後継であり、それだけでその愛情を向けるに十分だったと思います。自分の父親が王でないことに憤り、どのくらいたったら執政が王様になれるの? と口にしてしまえるような、稚気、または傲慢さ、あるいは無理解を、デネソールがもたない故に、そしてそういった反応が想定内であったために、愛し易く、加えて、武勇に優れ、情にあつい人物に育ったという事実が、その愛情を立場的にも心情的にも外に表すことに躊躇いがなかったのではないかと思います。
さてもう一方のファラミアです。デネソールは、彼に対してはより複雑な想いを持っていたのではないかと思います。疎んでいた、というのか愛憎半ばするというのか。立場的な観点からも心情的な観点からもそれは見てとれるような気がします。
まず二人の立場から考えると、デネソールはファラミアに対する愛情をあまりあらわにする訳にはいかなかったのではないかと思います。
ファラミアはデネソールの第二子で男子です。長子のボロミアとは4才しか離れていません。
ヌメノールの血筋を色濃く受け継ぎ、長子と遜色なく、ひょっとしたら凌駕する部分を露わにして成長するかもしれない、長子とそれほど年齢差のあるわけではない、同性の次子です。
そもそも資質的な問題を抜きにしても、いつの時代、どの場所においても「王弟」(執政は王じゃないけど)という存在は厄介なものと言えます。王の即位前であれば、状況によっては王位をめぐるライバルとなり、あるいは王位継承のスペアである事を求められます。敵にすれば非常に厄介で味方にすればこの上なく頼もしい存在たり得るでしょう。
ミドルアースにおいて、北方王国は、エアレンドゥア王の息子たちの不和で、国が三分割され、それぞれが弱体化し、結局はすべて滅亡しました。南方王国のゴンドールにおいてもエルダカール王の時代の王位を巡る内乱で国力が削がれ弱体化しました。その後衰微する一方です。デネソールはその歴史を知るものであります。
デネソールが怖れたのは兄弟間で親の寵愛を争い、あるいは不仲になり、それぞれに思惑や利害を持つ輩が配下につき、それぞれを押し上げ、国を割ることではなかったでしょうか。
自分の時代にモルドールとの決戦があろう事を自覚していたデネソールには、ただでさえ弱っているゴンドールの国体を、自分の息子たちが争うことでその国力を削ぐ事を決して許すことは出来なかった。それで、長子を寵愛し、長幼の序を乱すことがない事を徹底的に内外に見せつけ、一方でボロミアがファラミアの庇護者たる事を陰に奨励したのではないかと思うのです。兄に弟を庇護させ、弟に兄を敬愛させる。弟が兄に反逆することのないよう、弟の心の内に、兄に対する情愛のくびきをつけさせたのではないかとも思うのです。
(兄弟間の愛情については、個人の資質ももちろんあると思うけれどデネソールの黙認がなければ、ボロミアがファラミアの庇護者である事は難しいと思うので)
 また一方、心情的なものでいえば、父子の相性が悪かったといってしまえばそれまでかもしれませんが、それだけではなく、ファラミアを疎んじる理由がデネソールにはあったような気がしています
王の帰還」で、デネソールがミナスティリスに帰還してきたファラミアへの不満を述べるところで、ファラミアがこれまでも、自らの判断である程度デネソールの本意にそぐわない判断をくだしてきたであろうことや、この戦乱の世にあって温容で寛大であろうとしてきた事を責めるような箇所があります。
そこを読むと、デネソールにはファラミアのありようが、ある誰かを彷彿とさせ、その人物自体をそもそも好きではないので、それにひっぱられてファラミアを疎ましく感じているのではないかと思うのです。
ピピンがミナス・ティリスではじめてファラミアにあったとき彼はファラミアに対し次のような感想を抱きます。
「ここにいるのは、アラゴルンが時として垣間見せる神秀高潔な風格を具えた人でした」
ファラミアはアラゴルンに似ている所があって、それ故にデネソールはファラミアを疎んじたのではないかと思うのです。
 そのアラゴルン、ドゥネダインの第15代の族長、イシルドゥアの末裔ですが、デネソールとは一才違いです。アラゴルンは、ガンダルフと知己を得、諸国遍歴の旅に出立し、ローハンでセンゲル王に仕え、ゴンドールで執政エクセリオンに仕えました。彼はソロンギルと呼ばれ、エクセリオンとミナスティリスの人々に頼まれるものとなりました。当時の執政であり、デネソールの父親でもあったエクセリオンも、街人たちも、ソロンギルをデネソールより高く評価していました。ソロンギルはそれに驕ることなく、またデネソールと彼らの寵を競うこともせず、出自を明らかにして王位に挑戦することもなく、淡淡とモルドールからの脅威に対応して、その後ゴンドールを去っていきました。
デネソールは、この一才年下の北方王国の末裔をどう思っていたのでしょう。指輪物語の追補編では「鋭敏な知力の持ち主であり、同時代の誰よりも遠く深くみていたデネソールがこの異邦人ソロンギルが本当は何者であるかに気づき、ソロンギルとミスランディアが彼に取って代わろうと企てているではないかと疑ったのだと考えた」とあります。おわらざりし物語のパランティーアでは、デネソールにはソロンギルへのねたみとガンダルフへの敵意があったとも書かれています。
戦場で手柄をたて、父の寵愛も都の人々の関心をも、奪っていく男への嫉妬、出自身分を明かさずに去っていた男への疑念、また、北方王国の末裔とはいえ、南方王国の王の娘を通じて、南方王国の血統を継いでいる故に、いつか王位の請求も行うのではないかという恐れ、どうにもデネソールがソロンギルーアラゴルンを良く思える理由がありません。デネソールは心底ソロンギルの事が疎ましかったでしょう。
そのアラゴルンに似たファラミアが、その行動が、デネソールにとって癇に障るものだったであろうことは想像に難くありません。
その上、ファラミアはガンダルフに教えを請うて、ガンダルフもそれに応えていました。その事でガンダルフには特別の思惑はなかったとは思いますが、デネソールにしてみれば、簒奪者になりうる者が、執政家の次子たぶらかそうとしているくらいは思っていたかもしれません。そしてガンダルフの後ろにアラゴルンの影を感じていたのかもしれません。
父のいうことだけを是とするのでなく、父の意に背いてもガンダルフから得られる限りのことを学ぼうとするファラミアを、デネソールは裏切りもののように感じていたのかもしれないとも思うのです。
自分が嫌う男に似ていて、自分が厭う男の教えを請い、自分の意にそぐわない判断を下しかねない息子。
これが積み重なって、デネソールはファラミアを疎んじるようになったのではないかと思います。
そう考えていくと、デネソールが、なぜ裂け谷へのボロミアの出立を許したのか、というのもわかってくるような気がします。
ボロミアが言い出したらきかないから、というのも本当でしょうけれど、無意識の領域で、ボロミアならデネソールの意に沿わないことをしない、絶対にミナス・ティリスに戻ってくる、いう想いがあったからなのではないでしょうか。ファラミアをいかせたら、彼は裂け谷から戻ってこないかもしれない、ゴンドールに利がないことでも彼の規範に則って是となるならばそうしてしまうかもしれないという恐れがあったのかもしれません。決定的なところで自分と異なる選択をするのではないか、という点でデネソールにとって、ファラミアは信用がおけず、それが自身の息子であるが故に、絶対的な信頼や恭順をみせない(とデネソールには思える)もどかしさと辛さがあったのかもしれません。ファラミアが息子でなければ、根本に情愛がなければ、ここまで苛立たなくて終わっていたかもしれないとも思うのです。
 パランティアを覗きすぎて絶望に支配されてしまい、最後は炎の中に自ら命を絶ったデネソールですが、「かれは誇り高き男であったが、その誇りは彼ひとりのみならず、愛する国民にも向けられていた。絶望の時代にあって愛する人々をひきいることこそが己が天命と考えていた」とおわらざりし物語で書かれ、ガンダルフには「ファラミアよ、父君はあんたを愛しておられる。そして最後にあたってきっとそのことをを思い出されよう」と評されています。
いろいろと問題はあったものの、デネソールは偉大なる執政で、そして彼なりに息子二人をそれぞれに、愛していた事に間違いはありません。ボロミアには隠し立てする所のない愛情を、ファラミアには無意識下での情愛を持っていたと思うのです。
デネソールは最後にはファラミアへの愛情を自覚し、ファラミアは回復後にその事を知ったでしょうが、なろうことなら、かれらの間にもう少し時間があり、真に確執を解く事ができたら良かったのにと思わずにはいられません。