今年の仕事
今年ももう終わりですが、広坂は老親の介護にてんてこ舞いで、大した仕事も出来ませんでした。そんな中で、二つ、ささやかながら形になった仕事がありましたのでお知らせいたします。
『怪異を歩く』に寄稿
青弓社から刊行された論集『怪異を歩く』(一柳廣孝監修)に「よみがえれ、心霊スポット」と題したエッセイを寄稿いたしました。

- 作者: 今井秀和,大道晴香,一柳廣孝
- 出版社/メーカー: 青弓社
- 発売日: 2016/09/30
- メディア: 単行本
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執筆中に吉田悠軌氏の著書『怪談現場 東京23区 (イカロスのこわい本)』を読んで、大慌てでタイトルと結論部分を書き変えました。私の当初の見通しとしては心霊スポットはもう過去のものとなりつつあるという嘆き節があり、その気分のまま書き出したのですが、吉田氏の精力的な調査レポートを読んで、これはまだまだ可能性があるかもしれないと考えをあらためたからです。
この論集は、ひょんなご縁でまぎれこませていただいている怪異怪談研究会(一柳先生主宰)の研究集録で、第1巻『怪異を歩く』、第2巻『怪異を魅せる (怪異の時空)』、第3巻『怪異とは誰か (怪異の時空)』で構成される「怪異の時空」シリーズの一冊です。私の駄文以外は、国文学・民俗学・宗教学の研究者の方々による立派な研究論文です。
Web評論誌『コーラ』に寄稿
すでに黒猫編集長の告知もあり、
http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20161215/p2
岡田有生さんのブログ
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20161215/p1
でも紹介されており、広坂はまったく出遅れてしまいましたが、Web評論誌『コーラ』30号に、岡田さんとの共作<前近代を再発掘する>第6回「地獄は一定すみかぞかし」を寄稿いたしました。
ブログを通じて知り合った岡田さんにつきあってもらって続けてきた『太平記』読みもこれで一段落です。
私の担当パートでは、高師直のことや、『太平記』作者がしきりに『史記』を参照していることの意味についても考えたかったのですが、この春以来、家庭の事情が激変して、とうていその余裕がなくなってしまい天狗の話に終始しました。その分、岡田さんが素晴らしい論考「正義と地獄」を寄せてくださいました。何年にもわたり、私のムチャぶりにつきあってくださった岡田さんには感謝の言葉しかありません。
◆Web評論誌『コーラ』30号のご案内
★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html
---------------------------------------------------------------●寄稿●
マイノリティについて語る倫理
――「子どもの貧困」を一例として田中佑弥
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/kikou-30.html本稿を書こうと思った契機は、「新貧乏物語」の捏造である。「子どもの貧
困」をめぐる昨今の事象を振り返りながら、まとまりのない文章で恐縮ではあ
るが、考えたことを書き記したい。
捏造があった「新貧乏物語」は『中日新聞』による2016年の連載記事であ
る。『中日新聞』の検証記事(1)によれば、以下のような捏造があった。五月十七日付の名古屋本社版朝刊の連載一回目「10歳 パンを売り歩く」
は、母親がパンの移動販売で生計を立てる家庭の話。写真は、仕事を手伝う
少年の後ろ姿だったが、実際の販売現場ではない場所での撮影を、取材班の
男性記者(29)がカメラマンに指示していた。少年が「『パンを買ってくだ
さい』とお願いしながら、知らない人が住むマンションを訪ね歩く」のキャ
プション(説明)付きで掲載された。
撮影当日、少年がパンを訪問販売する場面の撮影は無理だと判明。少年に
関係者宅の前に立ってもらい、記者自らが中から玄関ドアを開けたシーンを
カメラマンに撮らせた。また、五月十九日付朝刊の連載三回目「病父 絵の具800円重く」でも記者
は、「貧しくて大変な状態だというエピソードが足りないと思い、想像して話
をつくった」。
報道は正確でなければならないが、本稿で考察したいことはそういうことで
はない。(以下、Webに続く)
----------------------------------------------------------------●連載<前近代を再発掘する>第6回●
地獄は一定すみかぞかし岡田有生・広坂朋信
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/zenkindai-6.html前置き
黒猫編集長にさんざんご迷惑をかけ、岡田さんに無理やりつきあってもらっ
て、脱線を繰り返しながら続けてきたこの企画だが、『太平記』を一通り読み
終わったので、今回で一区切りとしたい。(広坂)天狗太平記(広坂朋信)
■鎌倉幕府滅亡の予兆
『太平記』にはしばしば天狗が登場する。天狗は、歴史物語としての『太平
記』の前近代性を際立たせている特徴の一つだろう。
まず前回取り上げた「相模入道田楽を好む事」(第五巻4)から見ていこ
う。
田楽に夢中になった北条高時が、ある晩、酔って自ら田楽舞を踊っている
と、どこからか十数名の田楽一座の者があらわれて、「天王寺の妖霊星を見ば
や」と歌いはやした。高時の屋敷に仕えていた女中が障子の穴からのぞいてみ
ると、踊り手たちは、あるものは口ばしが曲がり、あるものは背に翼をはやし
た山伏姿、つまり天狗の姿であった。
この場面をどう受けとめるか。高時の舅が駆けつけたときには、怪しいもの
どもは姿を消していた。畳の上に鳥獣の足跡が残っていたことから、天狗でも
集まっていたのだろうということになったが、当事者である高時は酔いつぶれ
ていたので、目撃者は、家政婦は見たよろしく障子の穴からのぞいた女中一人
だけである。(以下、Webに続く)
----------------------------------------------------------------●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第40章 和歌三態の説、定家編─イマジナル・象・フィールド中原紀生
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-40.html■音象、ネイロ、世界の影
前章の最後の節で、パンタスマ(虚象)の音楽的効果について簡単にふれま
した。今回はその補足、というかやや蛇足めいた話題から始めたいと思いま
す。
大森荘蔵著『物と心』に収められた「無心の言葉」の冒頭に、時枝誠記の著
書(『言語本質論』(『時枝誠記博士論文集』1))からの孫引きで、平田篤
胤の次の言葉が紹介されています。「物あれば必ず象あり。象あれば必ず目に
映る。目に映れば必ず情に思う。情に思えば必ず声に出す。其声や必ず其の見
るものの形象[アリカタ]に因りて其の形象なる声あり。此を音象[ネイロ]
と云う」(「古史本辞経」、ちくま学芸文庫『物と心』98頁)。
いま手元にある『国語学原論』総論第七節「言語構成観より言語過程観へ」
の関連する箇所を拾い読みしてみると、時枝はそこで、「特定の象徴音を除い
ては、音声は何等思想内容と本質的合同を示さない。これを合同と考えるの
は、音義的考[かんがえ]である。」と書き、先の一文を例示したうえ、「音
声は聴者に於いて習慣的に意味に聯合するだけであって、それ自身何等意味内
容を持たぬ生理的物理的継起過程である。音が意味を喚起するという事実か
ら、音が意味内容を持っていると解するのは、常識的にのみ許せることであ
る。」と書いています(岩波文庫『国語学原論(上)』108頁)。
(以下、Webに続く)----------------------------------------------------------------
●連載「新・玩物草紙」●
黒岩涙香/地 図寺田 操
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-34.html黒岩涙香
5月の大型連休のさなか、「黒岩涙香」の文字をみつけて胸がざわついた。
竹本健治『涙香迷宮』講談社2016・3・9)の新刊。探偵小説家・涙香
(1862〜1920)が主人公では?それとも評伝的な小説なのか?
1980年代、黒岩涙香の翻案探偵小説『幽霊塔』『鉄仮面』『死美人』
(旺文社文庫)などを読んだ覚えがある。《雪は粉々と降りしきりて巴里の
町々は銀を敷きしに異ならず、ただ一面の白皚々を踏み破りたる靴の痕だも見
えず、夜はすでに草木も眠るちょう丑満を過ぎ午前三時にも間近ければ》…書
き出しから怪異の時間に引き込まれた。警官2人の警邏中、黒帽子に長外套の
襟をあげて顔をかくす紳士が下僕を従えて歩いてきた。下僕の背には重たげな
籠。なかには絶世の美女の死体。肋骨のあいだにスペードのクイーンの骨牌
(カルタ)の札が突き刺さり…。フランスの作家ボアゴベイ原作『死美人』
だ。(以下、Webに続く)