紫禁城の黄昏


完訳 紫禁城の黄昏(上) (祥伝社黄金文庫)
完訳 紫禁城の黄昏(下) (祥伝社黄金文庫)




清朝最後の皇帝にして、
満州国唯一の皇帝溥儀の帝師・ジョンストンによる
清朝崩壊の記録。


東京裁判では、証拠として採用されなかったのは
その記録の緻密さ、正確さ故かー。
この記録が万人の目に晒されれば
日本軍の政略であると信じられている満州国建国が
実は満州人自身が望んでいたことが
あまねく知れ渡ってしまう。
日本人と日本軍を貶めたい者たちは
それゆえ、この記録を隠し、あるいは誤訳を
はびこらせたのはではないかー。
そうした憶測を修正主義者の妄想と片付けられない事実が
ここに記されていた。


戊戌の政変、西太后の失政、混乱の続いた後
溥儀は宣統帝として即位したが
袁世凱の裏切り、クーデターによって
皇帝の座を追われてしまう。
袁世凱の政権、それ以降の共和制政権も
安定せず、混乱に飽きた中国国民は
満州民族に限らず、帝政復活を望むようになる。


溥儀自身は、退位から少なくない時間は
帝政復活の復辟を全く考えておらず
宝物も名誉も投げ出して
市井の人間として生きようと考えていたが
共産主義者の過激な破壊活動や
軍閥の跳梁によって、元皇帝は避難せざるを得なくなり
運命のいたずらか、偶然にも日本公使館で保護を受ける


この記録によると、天津で避難生活を送っていたが溥儀が
歴代の皇帝の陵墓を破壊され
共和制中国に対して今までにない怒りを露わにし
人格が変わってしまった様子がうかがえる。
おそらく、彼が満州国の皇帝としてたった理由は
そこにあるのではないだろうか。


勿論、この記録だけでは、
日本人の行為の正当性を証すことにならないが
当の中国人、満州人はどうだったのかと
訝しみたくなる事実が、当時の北京などで
発行されていた新聞の引用から察することができる。


それにしても、記録の半分しか訳がなかった岩波書店版を
よしとせず、緻密な翻訳作業を手がけた中山理氏に
拍手である。