City of Joy

インド博物館の開門を待ち、開門と同時にフルスロットル。
1814年設立、インドで一番歴史のある博物館がコルカタにある。
イギリス東インド会社の拠点であったコルカタだけに、大英帝国の残り香が
漂う建築物にこれまたインド的な本物と偽物が入り交じった展示物。
ヴァンダー・カンマー、正に脅威の部屋。
博物館の原初の形態、貴族の館にあった脅威の部屋もこういった雑多な印象を
見た人間に与えたのではないだろうか。
久々に博物館でわくわくした。
何が出てくるか解らない感じがドキドキを止めてくれない。


植物、昆虫、鉱物、化石、細密画、仏像、石柱、民具、まぁ色々。
それらがごく大雑把な分類の元に、ごく大雑把な展示。
この博物館自体がインドそのものであるような気もする。
何に特別感銘を受けたとかではなく、博物館全体として感銘を受けた。
そんな博物館。


その足で、ネルー子供博物館へ。
ネルーが子供達の為に作ったごくこじんまりとした博物館。
展示物は寄付を含む、世界中の人形達。
日本の雛人形が段々構えで飾られており、結構な迫力だった。
雛人形のような、十数体で一式っていう人形も多分世界で日本だけ。
日本文化ってのも奥が深い。
その他の展示は、ジオラマ風に小さな人形で『マハーバーラタ』や
ラーマーヤナ』を場面ごとに順を追って展示した部屋。
あとは子供達が描いた絵達。
その絵を見て、ふと思ったのが絵に描かれる人間の肌の色。
日本で言われる所謂「肌色」で人間が描かれているが、彼等の現実の肌の色は
日本で言う「茶色」に近い色をしている。
彼等も「白」い肌になりたいのだろうか。
子供達の描く絵は、大人達が描かせたい絵でもある。
日本での太陽は「白」や「黄」ではなく、「赤」で描く様に指導されるのが
基本で、子供達も仲間はずれが嫌なものだから自然と「赤」い太陽ばかり
が描かれるようになる。
インドの未婚男女が読む雑誌の結婚相手募集欄、女性側の釣書には当方色白、
また男性側が女性に求める条件には色白が含まれる、と何かで読んだ。
そもそも征服者である白色人種、アーリア人と、黒色人種に近い被征服民、
ドラヴィタ人とどんどん血が混ざるので無理矢理色分けで身分制度を整えた
のがカーストの大本。ヴァルナはそのまま色っていう意味。
子供達まで白色が良いものだと思ってしまっているのならば、それは大人達
がそう思っているからに他ならない。
肌の色、それぞれに独自の美しさがある事はもう紛れも無い事実。
子供達の描く絵に登場する人間達の肌が、「赤」「青」「黒」「茶」「黄」
そして「白」で描かれる世界にいつかなるのだろうか。
もっと言えば、全部が混ざった色にいつかなるのだろうか。

その後はマザー・テレサが開いたマザー・ハウスで日本人シスターの話を
聞きに行くと決めていたので、一路。
今泊まっている12人部屋のドミトリーの実に5人がマザー・ハウスでボランティア
活動をしている人間達。
メインの観光名所が無いコルカタだが、ある意味ではマザー・ハウスがそれだと
言えなくもない。
最近の流行なのか、日本の大学生も多い。
優しい心をお持ちの様だ。
シスターの話は是非聴くべきとの事らしいので、ボランティア大学生にお願いし
て参加させてもらえるようにしておいた。
マザー・ハウスに行ったら日本人の若い女の子達が30名ほど、男の子達は総勢
10名程だったか。
マザー・ハウス、実はシスターは働かず、労働力は全てボランティアとインド人
の雇われ人で賄われているらしい。
何か違和感を感じる。
孤児の家で働くボランティア学生が、孤児との触れ合いで心が洗われたと嬉し
そうに話をしてくれる。
ところでその子供達は施設を出た後どういった生活をするのかね、と聞いたら
「さぁ?」との返答。
卓球の愛ちゃんじゃあないんだから、そういった返答は勘弁して欲しい。
自分がやっている事の延長線上にある事柄に興味が無いのだろうか。
実際に身体を使って働いていないシスターの話もどこか白々しく聴こえて
ひたすらカワイ子ちゃん達を観察。
カワイ子ちゃん達はシスターのお話をひたすらメモにカキカキ。
みんなマジメ子ちゃん。

生まれてこのかた、ボランティア精神に目覚めた事は一度も無い。
うすうす感じてはいたが、あまり他者に感心のない、冷たい人間であるようだ。
だが、ボランティアを無理にする訳にはいかない。
喜捨と同じで、する人間も救われないと意味がないと思っているから。
恐らく、この考えは変わらない。
冷たい人間、決定。