「ベーシック・インカム入門」読了
- 作者: 山森亮
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2009/02/17
- メディア: 新書
- 購入: 24人 クリック: 276回
- この商品を含むブログ (126件) を見る
なぜか興味が沸いてしまったので、本書を手にしました。
この「ベーシック・インカム」という、「働かざるもの、食うべからず」と真っ向から対立する概念について、
一番の疑問は、無条件でお金をもらえるとしたら、誰も働かなくなってしまうのでは?
という点で、一番納得したのはこの部分。
ベーシック・インカムに対する答えられるべき疑問として、無条件の所得給付は労働意欲を減退させるのではないか、という疑問をあげ、フロムは以下のように回答する。現行の世の中の仕組みは、飢餓への恐怖を煽って(一部のお金持ちを除き)「強制労働」に従事させるシステムである。こうした状況下では、人間は仕事から逃れようとしがちである。しかし一度仕事への強制や脅迫がなくなれば、「何もしないことを望むのは少数の病人だけになるだろう」という。働くことよりも怠惰を好む精神は、強制労働社会が生み出した「状態の病理」だとされる。
そう言われてみれば、「宝くじで3億円当たったらどうする?」とか聞かれて、「仕事は辞めないだろうなあ」とか答えていたのを思い出す。それは、たまたまその時、仕事自体が面白かったというのもあるのだろうけど、やっぱりだらだらしてるだけじゃつまらないという考えもあったのだと思う。
そういえば、僕は会社員とフリーと行ったり来たりする間に、いわゆる空白の期間があったのだけども、やっぱり長く休んでいると、そろそろ仕事したいなという気分になってくる。それは、貯金が減ってきて生活に困ってしまうという危機感もあったと思うけども、のんべんだらりと暮らしていることに飽きてくるというのもあったと思う。正常な感覚なら、仕事は自然としたくなるということか。
もう一つはこの部分。
ベーシック・インカムが保障されているもとでは、生存のために労働を強いられるということはないはずであるから、より多く働くものは、自分の意思でそうしているのであり、単純化のために、金銭に相対的に強い価値を置いていると考えることができよう。他方、より少なく働く者は、単純化すると、時間に相対的に強い価値を置いていると考えることができよう。
後者を「怠け者 lazy」と呼ぶことがもし許されるのであれば、前者を「クレージー crazy」と呼ぶことが許されるだろうか、とヴァン=パレイスは論を勧める。ベーシック・インカム制度のもとでは、レージ―な生き方も、クレージーな生き方も、あるいはそれほど両極端ではない「どっちつかず hazy」の生き方も、自由に選択することができる。図示すれば図表A左のようになる。ところが労働可能なものが飢餓への恐怖なしに賃金労働に従事しないことを認めない現行の福祉国家のもとでは、図表A右のようになり、クレージーな生き方を強制されることとなる。
この図は非常に分かりやすくて気に入っています。
lazyも、crazyも、hazyも選べるという意味で、ベーシック・インカム制度は「自由」を保障してくれるのですが、
現行制度はそうではないということですね。
もし、ベーシック・インカム制度になったとしても、やっぱり仕事はするだろうなあ。
年金はやっぱり無くなるのだろうか。自分で貯蓄 or 投資しなければいけないとすると、
むしろ、老後に金銭上の問題をかかえる人は増えるような気がしますね。
日本がベーシック・インカム制度を導入するかどうかは分かりませんが、
子ども手当は近い概念なのかな。13,000円/月じゃどうしようもないけど。
やっぱり自分でベーシック・インカム相当のインカムを作り出さないとダメなようですね。
「会社の品格」読了
- 作者: 小笹芳央
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2007/09
- メディア: 新書
- 購入: 5人 クリック: 24回
- この商品を含むブログ (52件) を見る
国家の品格は読んでないのですが、会社の品格を上げることで、国家の品格を上げることができると考えられるようです。
会社の品格が厳しく問われているという話から始まり、
組織の品格/上司の品格/仕事の品格/処遇の品格/経営者の品格、社員の品格
と、会社の構成要素それぞれの品格について述べるという、非常に分かりやすい構成になっていて、
読みやすいのも良かったです。
なかでも興味深かったのは、処遇の品格の中で述べられているこの部分。
本来、会社と社員との関係の結び方には2つの方法があります。ひとつは、辞めにくい会社を作って、辞めてほしい人に辞めてもらうことです。
そしてもうひとつの方法は、辞めやすい会社を作って、辞めてほしくないハイパフォーマーのリテンション、在職維持に努めることです。相互拘束時代には、多くの会社が前者の考え方を前提に、処遇のルールを作ってきたわけですが、これからの相互選択時代には、後者の考え方を採用する必要があります。
相互選択時代、すなわち、会社が候補者が選ぶのはもちろん、候補者も会社を選別しているのだということだと思いますが、この不景気でその方向により一層傾いているでしょうね。
当社も採用活動はしているのですが、Oracle EBSの経験 + 社会人としての基本 + αが無いと採用しないとかいうしきい値がある一方で、そもそもの応募数が少ないという悲しい事態にも見舞われています。
候補者も、会社も、それぞれ魅力を磨かなければならないということですね。
なんとなくですが、Joel on Softwareの以下の部分を思い出しました。
それはまずい候補者を採用するよりは、いい候補者を落とす方がずっとましだからだ。まずい候補者というのは、多くの金と労力がかかり、そのバグを直すために他の人々の時間を無駄にすることになる。間違って採用した人を解雇するのには何か月もかかり、それは悪夢のように難しいかもしれない。
そんな風にならないように、やはり努力しなければいけません。
あともう一つ面白かったのはここ。
会社というムラ社会では、独自の規範が形成されやすくなる、という話は何度も書いてきました。そしてこの独自の規範は、社会の規範からズレていくことが少なくありません。ですから、社会からズレた規範を持つ組織の中で評価を受け、出世して偉くなり、社内で最高の成功を手に入れたとしたら、その人は、ズレた規範を全面的に受け入れ、誰よりもその規範を守り、その規範に沿った行動をしてきた、ともいえるのです。
組織の中でエラくなるほど、社会からはズレていくという矛盾。これは衝撃でしたね。
うちの会社では、それほど規範めいたものもないので、会社の規範に沿って行動することで、社会からズレるということは無いと思うのですが、
やはり自己防衛的に、仕事で得られる知識・技術のみに頼らないという姿勢は重要じゃないかなと、改めて思いました。