久しぶりに、我が家からの風景



 久しぶりで気持ちのよい、雨らしい雨が降った。植物は生き返ったことだろう。

 そう言えば、しばらく我が家からの風景をレポートしていないことに思い至った。

 被災して家屋の無くなった荒れ地に、ものすごい量のシロツメクサ(クローバー)が生えて花を咲かせている。昨年11月2日に、被災地ではセイタカアワダチソウが大増殖しているのではないか?という記事を書いた。今度はシロツメクサがひどく目に付く。セイタカアワダチソウと違って背も低いし、花の色もいやらしくはないし、大量に花咲いているとなかなか強い香りを漂わせるが、それとて決して不愉快なものではない。外来植物がどうせ大増殖するのなら、セイタカアワダチソウよりはシロツメクサの方がはるかにいい。セイタカアワダチソウとは花期が違うので、今シロツメクサが咲いている所に、秋にはセイタカアワダチソウが咲くのかどうか・・・それは願い下げだ。

 4月から、我が家から見える二大「大建築」である市立病院と文化センターの解体工事が始まった(工事は1月末に開始したと聞いていたが、外から見ていて分かる状態になったのは4月)。これらが無くなると、我が家からの風景は、今までにもましてスッキリするので実にありがたいのだが、もったいないなぁ、という思いも非常に強い。文化センターは出来てから28年、市立病院はわずか15年である。1階が津波で全滅したものの、2階には達しなかったらしい。立派な建物本体には、何の問題もなく、掃除と多少の改修作業をすれば再開できる状態だったと思う。実際、当初はその方向で話が進んでいたのに、それは現在地で復旧させなければ国から資金援助を受けられないという話だったからであって、その後、国から移転でも補助金を出す旨の通知を受けるや、元の建物はあっさり解体という話になった。結局、金だけの問題だったというのが私には哀しい。補助金を出す国だって借金だらけで火の車だし、そもそも、膨大な資源を使って建てた巨大な建物を、使えなくなったわけでもないのに、再び膨大な資源を使って解体するということが、私には理解できない。そこには、石油でもコンクリートでも鋼材でも、金を出して買った物は、買った者が自由に使っていい、という発想がある。しかし、それは資源管理上も環境問題上も間違いだ。まして、金がなければ借金をすればいいという発想が背後にあるとなればなおさらである。あきらめるとか我慢をするとかが出来ない、理念や人権には至って鈍感・無頓着な一方で、無駄に豊かで神経質な今の社会って何なのかな?大きな重機を使って力尽くで解体しているが、これをツルハシやタガネとハンマーをつかって人力でするとなると、気が遠くなるような大変な作業だろうなぁ、と想像もしてしまう。だが、これだけの建築物を作り壊すというのは、それくらい大変な作業であるべきなのだ。金に物を言わせ、石油を燃やして、力でねじ伏せるように何かをすることで、私たちは物の本当の価値が分からなくなっているのではないか?

 さて、工事が見え始めた当初は、こんな力業なら、1ヶ月くらいですっかり解体は終わるだろうと思っていたら甘かった。既に2ヶ月も経つが、作業は急ピッチで進んでいるようで、案外そうでもない。あと2ヶ月くらいはかかりそうだ。しかも、文化センターに至っては、1ヶ月くらい前からなぜか工事がストップし、ホールの部分だけを崩したまま、ついに重機も大型のものは姿を消してしまった。半径数百メートルの範囲に人が住んでいるわけでもないので、カバーでも掛けて爆破してしまえばいいのに、少なくとも内部だけでも爆破してしまえば、作業はどんなに早くて(ただし、これは雇用の確保から言えばマイナス)、しかも石油を使わなくて済むのに・・・と思う。

 二大「大建築」以外にも、わずかに残っていた民家や建築会社の建物が解体の途中である。

 先月17日に、我が家の近くにあるマルハニチロ食品という工場の目障りな照明の話を書いた。その前後から、対応がひどく丁寧になり、照明の向きを多少加減したらしく、我が家の不愉快はほんの少しばかり緩和された。

 休日に我が家の下に来る観光バスの数はますます多い(平日も来ているのかな?)。おそらくは、火事で焼けた門脇小学校を見に来るのだろうが、残念ながら門脇小学校は、ほぼ全面的にグレーのシートで覆われてしまった。観光客には気の毒である。我が家の上にある市立女子高校が、東日本大震災とは関係なく、老朽化と2年後に控えた女子商業高校との統合へ向けて校舎の大改築工事を行うに当たり、仮設校舎を校庭に建てた結果、校庭がほぼ使えなくなってしまった。そこで、体育や部活などは、徒歩3分の門脇小学校の校庭を使うことになったのだが、女子高生が校庭を使う時、あの大きな廃墟が見えているのは精神衛生上よくないのだそうだ。そんなものなのかな?私には何とも言えない。

 我が家の南に見えている海岸は、雲雀野(ひばりの)海岸という。その波打ち際から50メートルくらいの所にあった波消しブロックは、津波でぼろぼろになっていた。1ヶ月くらい前に、大きなサルベージ船が毎日やって来て、せっせと波消しブロックの積み直しをしていた。新しいブロックを補って、今はすっかり元通りである。それなのに、本当に7メートルもの防潮堤が必要なのかな?そう言えば、上で触れたマルハニチロの工場も、防潮堤工事の影響で、2年後には移転を迫られているのだそうだ。

 今はこんな感じ。