伊勢神宮の森



 3月3日、式年遷宮でブームとなっている伊勢神宮へ行った。平日だというのに、かなりの数の観光客で賑わっていた。私も15年ぶりくらいにはなるかも知れない。内宮の一部を除き、信じられないくらい記憶が希薄である。同行者も同じことを言っていたが、境内に生えている杉の巨木に感動した。神社の建物については、目隠しがされているか立ち入り禁止になっているかのどちらかで、ありがたい神社に参拝したという気にはなれなかったが、むしろ境内の巨木こそが神だった。直径で3メートル、周囲は10メートルになるかと思われる杉が立ち並んでいた。それらを見ながら私の頭に浮かんできたのは、内宮の奥に広がる「神宮の森」である。

 昨日少し触れたが、4年半前に死んだ私の父は伊勢の出身である。もっとも、「伊勢」という言葉には、私の認識では三つの意味がある。ひとつは、「お伊勢さん」と言う時の「伊勢」で、これは伊勢神宮を指す。もうひとつは、行政上の伊勢市のことである。そしてもうひとつは、昔の伊勢藩、志摩藩を括って、広く三重県の東部・南部を「伊勢」と称する、いわば広義の「伊勢」である。私の父の実家は三つ目に属する。正式に言えば、三重県度会(わたらい)郡南伊勢町五ヶ所浦にある青龍寺という臨済宗妙心寺派のお寺が、父の実家であった。私が宮城や兵庫に住んでいたため、「しょっちゅう」と言うほどではないが、祖父母の存命中は時折訪ねていた。物心ついてからでも、10回くらいは行っただろう。温暖で、みかんがたわわに実り、目の前の海では干潮時にアサリがたくさん採れた。穏やかで静かで自然豊かで、瀬戸内とよく似ている、私が大好きな場所のひとつだ。

 高校時代だったと思うが、春休みに、初めて1人で父の実家を訪ねた。通常は伊勢市か宇治山田の駅からバスで行くが、少し変わった行き方をしてみようと思い、伊勢神宮の内宮から県道12号線を歩いて行くことにした。当時、バスは志摩磯部経由だった。高校生が選ぶにしてはあまりにもマニアックなルートなので、それ以前に、父の車で通ったことがあるのだろうと思う。

 内宮から五ヶ所までは20キロ強、途中、人の気配があるのは「高麗広(こうらいびろ)」という曰くありげな名前の小さな集落だけだ。内宮から、車がようやくすれ違える程度の狭い道を歩き、高麗広を過ぎて、つづら折りの山道を上り詰めると、剣峠という330メートルの峠がある。ようやくここで、遠くに五ヶ所湾が見える。一つの場所から「道」というものを通って別の場所へ行く、この移動というプロセスの価値を実感させてくれることにおいて、類い希なる印象的な道である。

 特に印象的なのは、この道の左右に広がる深い森だ。その森は伊勢神宮所有の森であり、圧倒的に美しい。父から聞いた話によれば、ここは神の森として入山が全面的に禁止されていて、県道から一歩でも外れると処罰の対象になる、ということだった。おそらく森の神々しいまでの深さ・美しさは、神宮に守られ、一般人が一切入らない、という事情に由来するのだろう。深い森の霊気に包まれながら、手つかずの原始林が延々と続く峠道を歩くのは楽しかった。

 伊勢神宮に誰が祭られているかは気にならない。そんなことに無頓着でも、五十鈴川の清流も含めて、風景としての伊勢神宮は美しい。それは背後に広がる深い森によって支えられている。そんな森が元々あったから、神のおわします場所として神宮が建てられたのか、神宮が建てられたから、その後背地を禁制の地にして、美しい森が育ったのか、ことの前後は分からない。ただ、伊勢神宮に参拝して、背後の森に思いを致さないのは、私にはまったく片手落ちのことに思えてならない。久しぶりで、五ヶ所に向かって剣峠への道を歩いてみたくなった。