旧門脇小学校保存に関する公聴会



 今日の午前中は、石巻市立門脇中学校体育館で開かれた「震災遺構に関する公聴会(旧門脇小学校)」というのに出席した。1ヶ月ほど前の新聞で開催を知り、1月末に意見書を市に提出した。その際、おそらく発言希望者がたくさんいるだろう、しかし、こんな巨大なゴミを多額の公費を投じて残すことに対しては、あらゆる機会に声高に訴える必要があると思い、「発言を希望する」に○を付けておいた。そうしたところ、2月5日の「石巻かほく」という地方紙に、意見公募を締め切ったが、発表希望者が6人しかいなかったという記事が載った。あれれ、私にも出番がありそうだ、と思っていたら、2月9日に市から「発表をお願いします」というメールが来た。

 当初は激しい会になるだろうと思っていた私も、その後、おそらく人は集まらないだろうな、来る人の多くは、極めて感情的に門小を残したいという人たちだろうな(→参考)、と思うようになった。なぜそう思ったかというと、2月5日の新聞記事もさることながら、1月上旬に公聴会の開催が新聞に載った後、「公聴会を開催します。是非お出掛けください」式の宣伝を目にする機会がなかったからである。しかも、門小と石巻小学校を統合するという話なら、今後の生活に影響が出る人も少なくないが、廃墟となった校舎が残ろうが残るまいが、人々の生活に切実な影響なんてほとんどないのである。何かの時に、数千円、数万円の税金の使い方について目くじらを立てる人も、やり方次第では10億円を超える遺構保存プロジェクトには、おそらく関心を示さないだろうと私は睨んでいた。

 果たして、会場が体育館だったにもかかわらず、出席者は50人くらい。市の関係者とおびただしい報道関係者がいて、それが一般市民の出席者を上回っていた(と思う)。知っている顔がけっこういる。南浜の公園協議会のメンバーその他、である。社会に関して意識の高い人というのは何に対しても問題意識を持つので、結局、同じ人がいろいろな場所に出入りするということになってしまうのである。逆に言えば、多くの人は、直接的な利害関係の無いほとんど全ての問題について、無関心なのだ。これが日本という「民主主義」社会の現実である。

 6人の意見発表希望者は、解体賛成(保存反対)が2名、反対(保存賛成)が4名であった。市に提出された意見書は13で、全てが印刷され、資料として配付された。私が提出した意見書は、以下のとおりである。


少子化の進む中、膨大な費用を投じ、後世にツケを回してまで保存するようなものではない。最近の世の中には、何かにつけて残したり記念碑を建てたりしようとする傾向が強いが、無駄に豊かであることによって生じたセンチメンタリズムであると思う。役割を終えたものは、さっぱりと消えてなくなるというのがこの世の原則だ。

 津波の被害について、門小は間接証拠に過ぎない。津波で火災が起こるという教訓もあるのは確かだが、それほど大きな犠牲(費用)を払って伝えるほどのものには思えない。

津波の教訓を伝えるのに最もよいのは、復興祈念公園予定地内に放置されている家屋の基礎をそのままにすることである。公園整備の費用も節約できて、一石二鳥だ。

更に重要なのは、よりよく生きるために歴史を学ぶという思想(温故知新)を、社会全体で共有すること、もっと徹底的に教育していく努力をすることだ。過去から学ぼうとしない精神は、たとえ遺構が目の前にあったとしても、そこから何も学ばないものである。そう、学ぶ人はどんなものからでも学ぶ、学ばない人は何があっても学ばない。東日本大震災の教訓をいかにして後世に伝えるかということよりも、過去の大津波の教訓をなぜ受け継ぐことが出来なかったのかを考えることの方が、人間が賢く生きていくためにははるかに大切なのである。

 なお、観光資源として価値があるなら、維持費がかさみ始めるまでの間、一時的に撤去を保留するのは可。何が何でもすぐに撤去しろ、と主張するわけではない。」(→過去の類似作文


 私の発表は4番目。与えられた時間は5分。資料に書いたことを基本として、以下のような点を若干補足した(原稿を用意していったわけではないので、どのような表現をしたか正確には覚えていない。若干変わっている点があるだろう)。


・私の内部におけるテーマは「後世に負の遺産を残さない」ということである。

・防潮堤、高盛り道路、地盤のかさ上げなど、震災後の様々な施策を見ていると、景観を壊し、資源を消費し、田畑を埋め立て、山を切り崩し、お金を使い、二酸化炭素を残すというものばかりで、後世に対して申し訳なく、本当に胸が痛む。

・市にも県にも国にも膨大な借金があり、少子化も進む中、財政状況はますます厳しさを増してゆく。

・門小の校地を公園化するという計画も止めて欲しい。南浜地区に30ヘクタールを超える公園が作られることもあり、それらは一体のものとして議論すべきだ。

・昔の人も津波の教訓を伝えようと様々な努力をしてきた。決して、今の人が初めてではない。にもかかわらず、私たちはそれを受け止められなかったということを考えて欲しい。だから、巨大な遺構を残して教訓云々というのではなく、過去から何を学ぶべきなのか自らの内側に向かって問い直すことこそ必要なのだ。


 最後の「昔の人も〜」は、私の直前に発言した方(保存賛成)が、いかにも今までは教訓を伝えようという努力がされてこなかった、というようなことを言ったから、それを受けて触れたことである。

 意見発表希望者が少なかったので、出席者からの発言を認める旨の呼び掛けが行われ、3名が発言した。賛成反対各1名、もっと時間を掛けて議論した方がいいが1名だった。うまくできている。

 現時点では市が公表していないようなので、他の方々の意見も紹介したいところだが、私が勝手なことをするのもはばかられるので止める。ただ、なにしろ「宮城県震災遺構有識者会議」が昨年1月に、「石巻市震災伝承検討委員会」が一昨年12月に、それぞれ門脇小学校を保存する価値があると答申しているのである。今日の公聴会出来レースの感が強い。(→以前の説明会

 終了後、発言者席は報道陣に取り囲まれたが、幸い、私への取材はさほど多くなかった。最後まで記者やカメラが離れなかったのは、震災当時の生徒(現在は高校生)と校長である。もちろん保存賛成派だ。マスコミの好む話題性というのが那辺にあるのか、報道の論調がどうなるのか、なんとなく想像が付く。