どこかで連鎖を止めないと

 駒大苫小牧高の話である。ニュースによると今回の不祥事の内容は「大人である部長が高校生の部員を」、「何発か」または「何百発か」、「スリッパ」または「平手」で殴ったとされる。そのうちもう少し具体的なことが明らかになるだろう。
 単なる1ファンの僕がこれだけショックを受けているのだから、選手たちの心境はいかばかりか。彼らは他のチームの選手たちに比べてもはるかに自律的に見えたので、その背後に暴力を振るう大人がいたことは意外だった。

 「少々殴られたくらいでガタガタ言うな」「体罰も教育の一環だ」などと訴えた側を非難する人もいる。しかし教育だと言うなら「指導された側の納得」が必要不可欠で、今回の場合、殴られた生徒がその理由について納得していないのは明らかだ。ベンチ入りもしていない17〜8歳の高校生が、27歳の野球部長に抵抗できたかどうか。「叩かなくてもわかりましたからやめて下さい」と言えたかどうか。たぶん無理だろう。
 
 このニュースを聞いて、イヤなことを思い出した。中学校1年か2年の頃、上級生だけが使える部室があって、ささいなことが原因でそこに呼ばれて顔が腫れ上がるほど殴られたのだ。こちらは1人、あっちは5〜6人で抵抗できるはずもない。
 きっかけは練習中に、僕がエラーをした同級生に対し「おらおら、そんなんじゃレギュラーになれねえぞ」と言ったことだ。もちろん先輩にそんなことを言うはずもなく、あまりにも何気なさ過ぎて部室に呼ばれた後もしばらく思い出せなかった。上級生は「お前だってレギュラーじゃねえべや」などと殴りながらも一応説教のテーマは保たれていたが、しばらくたつうちに「ちょっと頭がいいからっていい気になんな」などと言いがかりのの内容がブレはじめ、最終的には殴ることそのものが目的になっていったのである。
 今となっては部室に呼ぶ理由なんてどうでもよくて、僕がその時レギュラー選手だったら
「レギュラーだからっていい気になんな」と言われただろうし、身長2m体重100kgだったら同じことを言っても不問に付されただろう。
 僕が通っていた、北海道東部にある地方都市の公立中学校では1970年代の後半頃(ちょうど「校内暴力」が問題視されていた頃である)、「上級生が下級生を1人ずつ部室に呼び出してヤキを入れる」のは野球部の伝統のようなものだった。上級生にヤキを入れらた下級生は、上級生になった瞬間に下級生を殴り始める。これが何代も何代も続いていたのだが、実はこの伝統を断ち切るのはさほど難しいことではなかった。「最上級生になった僕ら」が下級生を殴るのをやめたのである。
 僕が積極的にイニシアチブを取ったわけではない。先代があまりにもひどく、みんな嫌気がさしていたのだと思う。暴力の連鎖は殴られる側から止めさせるのはかなり困難だが、殴れる側が止めれば簡単に断ち切れるものなのだ。なお翌年以降、後輩を殴る風習が復活したかどうかは残念ながら知らない。
 
 高校球界にいまだにはびこる「殴って、有無を言わせず服従させる」風習をどう断ち切るか。「教育の名を借りた体罰」を一掃するためにはいかなる理由であれ、この野球部長を厳罰に処するしかないだろう。そうすれば各校とも「大人が生徒を殴る」ことはなくなっていく可能性がある。

 あとは優勝の事実を遡って取り消すべきかどうかだが、今回の件は「大人が生徒を殴り、そのせいで生徒が勝ち取った優勝がチャラにされる」構図だと考えればそこまでするのは逆に教育的でないような気がする。仮に同級生への暴力を見過ごす風土が生徒の間にあったとしても、高校生が大人の不始末の連帯責任を100%負わなければならないとは思えない。

参照:http://d.hatena.ne.jp/take44/20050820/p2#

きょう聴いたCD

メロウ・アイズレーズ「メロウ・アイズレーズ」(アイズレー・ブラザーズ
グルーヴィー・アイズレーズ「グルーヴィー・アイズレーズ」(同上)
ソウルパンチ「ソウルパンチ」(クレイジーケンバンド

 落ち込んでても仕事はしたし(レーティング中だ)、CDも聴いた。横山剣氏はこの間ゲストで来たが、先行世代にこういうカッコいいオヤジが増えてきて喜ばしい限りである。そういえばその時、横山剣氏が選曲していったのがアイズレーの曲だったのであった。