わさっきhb

大学(教育研究)とか ,親馬鹿とか,和歌山とか,とか,とか.

運動会と組体操,リスコミ,上一万

「運動会におけるリスク」で,思い出したことを書いておきます.中学のとき,クラブ紹介と題して,各運動クラブが入場行進をしました.柔道部に所属の私も,道着を身にまとい,1年・2年・3年の各回,観客の前を歩きました.
1年の運動会では,誰の提案だったか,途中で投げるパフォーマンスをしようとなりました.はじめは普通に行進し,一番目立つところに差しかかったら,2人ずつ組み合います.基本的に先輩が取(とり.技をかける方),後輩が受(うけ.投げられる方)でした.
私はそのとき,柔道と別の理由でケガをしていて,プラカード持ちを務めました.後ろを見ることはできませんでしたが,観客の受けは良かったと,記憶しています*1
2年の運動会では,顧問の先生より,グラウンド上,すなわち土の上に投げるのはケガをしかねないと言われまして,行進の途中でマットを敷き,そこに投げることになりました.このとき自分は,投げられる役に徹しました.
3年の運動会では,クラブ紹介において,投げる行為をはじめ,各クラブのパフォーマンスが禁止となりました.粛々と行進しました.
リスクマネジメントの用語を使うと,2年のときはリスクの低減が図られ,3年のときはリスクの回避がなされた,となります.


組体操におけるリスク評価(の不在)についての件の続きです.Togetterのほう,まとめが追加されるとともに,コメントが伸びています.

読み直しました.当ブログで先日書いた中の,「この学校の今年度の取り組みによって,リスクがどのくらい減っているのかをきちんと示せる人は現状いない」について,この理解自体は変更していませんが,「誰がリスク低減の効果を示すのか?」と,考えてみました.
ですが,考えたところで,誰も,示したがらないですね.
巨大ピラミッド/タワーに重大なリスクがあると主張する人々が,こうすればリスクは低減できる(定量的にこうなる)とアピールするのは,何とも不自然です.
重大なリスクを指摘して回るほうが,コストパフォーマンスに優れています.そして今年度の運動会の状況をあとで集計し,ケガの発生件数が減っていれば,これがリスク低減・回避の定量的な結果,そして「功績」となるわけです.


愛媛の学会聴講から帰宅して,『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 (光文社新書)』を読み直しました.副題に「子どもと先生を苦しめる「教育リスク」」と,リスクの文字が入っていたのに気づきました.
そして,全体に目を通して気づくのは,この本はリスクのコントロールではなく,摘発を重視して書かれていることです.ここまで書いてきた「回避」や「低減」という言葉について,ざっと読んだ限り本の中から見つけられません*2
またリスクの認知に関して,「発生頻度と影響度の積として求まるリスクレベル」(wikipedia:リスクマネジメントより)に相応するような見方も,出てきません.
もちろんここまで挙げた用語や考え方を,採用するしないは著者の自由です.
しかし不在によって,これまでの知見と照らし合わせるのが難しくなった,という思いもあります.
照らし合わせ(そして著者の意図ではないと思われる)を1つ,試みます.「組体操だけ学習指導要領に記載なし」*3に対し,Togetterのコメントで「リレーとか騎馬戦の方が怪我が多いわけで。何か都合のいいデータを集めてるんじゃないかと疑ってしまう」*4と指摘されていました.ここは,都合のいいデータではなく,組体操のリスクを強調するために持ち出されているのが,「組体操だけ学習指導要領に記載なし」である,ではないでしょうか.3位を1位に見せるための方策です.
といったわけで,『教育という病―子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』と題するこの本は,教育の問題点を指摘するにはおそらく妥当だけれど,既存の「リスク」の概念---講義を担当している情報セキュリティを中心に,他分野の十分に確立しているリスクの考え方---と比較したとき,このアプローチ,そして「教育リスク」が,独自の道を歩まないかという不安もあります.そこで例えば,組体操のピラミッドの高さに応じた負荷量が整理されていれば,リスクの低減に関する効果をもたらしそうなのですが.


ところで,「リスクマネジメント」と書くと,そのリスクを認識し,回避・低減・転嫁・保有を使い分け,コントロールを図っていく必要があるようにも見えます.運動会でリスクマネジメントをするのは,もちろん学校です.
ただそうすると,『教育という病』の著者も,ネットで情報発信する人々も(私も),個別具体的な学校のリスクマネジメントの外から,ああだこうだと言う者と位置づけられます.
そうではなく,社会全体で状況を理解し共有するための概念としては,「リスクコミュニケーション」,略してリスコミが有用となります.
出張中のホテルで,検索して,ちょうど良さそうな文書を見つけていました.

まず見ておくべきは定義*5で,さきほど「ああだこうだと言う者」と書いたのは,そこでは「社会の各層」「社会の関与者(ステークホルダー)」と表記されています.「ステークホルダー間の権限と責任の分配」「平常時におけるリスクコミュニケーションの在り方」*6も,大事なところです.
4章には,さまざまな対比が整理されています.興味深かったのを取り上げると,個人のリスク認知と社会のリスク認知,統治者視点と当事者視点,“統計的・確率論的な見方”と“危害を受けるか受けないかの二者択一”,そして確率論的な数値の発信と理解です.
この章の最初の段落に書かれた,以下の記述も見逃せません(p.7).

(略)リスクに関する知識を提供すれば不安の軽減・解消が図れるとしてコミュニケーションを行ってしまうと、不信や不満など他の要素が増す場合があり、知識を共有するだけではリスクコミュニケーションとして不十分である。

組体操の件に当てはめるなら,まずは次のツイートでしょう.

これが,学校から保護者に対しての,「リスクに関する知識を提供すれば不安の軽減・解消が図れるとしてコミュニケーションを行ってしまう」となっており,ツイート主さんは,それでは不満が解消されなかったのです.
別の適用の仕方も,可能です.組体操に対するリスクの指摘もまた,「リスクに関する知識を提供」です.それにより,ピラミッドやタワーを低くしたり教員を増員したりするといった,リスクの低減策や,組体操をしないというリスクの回避によって,例えば聴衆から「今年は組体操しないのか」といった不満の声が出たり,リレーなど他の演目でケガ人が発生したりしたら,「リスクコミュニケーションとして不十分である」わけです.


リスクコミュニケーションを充実させてきた結果,では明らかにないにしても,住民そして社会がそのリスクを認知し,保有していると強く感じた場面が,愛媛・松山市内にありました.
伊予鉄道・市内電車の上一万(かみいちまん)駅です.
鉄道路線図と駅の場所は,以下のリンクよりご覧ください.

Googleストリートビューで確認できるとおり,ここは路面電車の駅です.道路の真ん中に,ホームと線路があります.歩道から駅のホームへ行くには,地下通路を渡ります*7
もう一つ大事なのは,この上一万駅は,乗換駅となっている点です.愛媛大学の最寄り駅は,赤十字病院前ですが,この市内電車を使って,道後温泉駅へ行くには,直行便がありません.そこで大街道経由の電車に乗って,上一万駅で降り,乗り換えることになります.南向きのホームから,北向きのホームへも,地下通路で行けます.
なのですがこのシチュエーション,線路を横切って渡る人が出そうだなと思いました.そして実際,線路を横切る高齢者の方と,距離を置いて止まる,道後温泉行きの電車を,目にすることとなりました.
この高齢者の行動は,リスクの保有に基づくと言えます.止まってくれるだろう,と.
それに対して運転士さんや,鉄道会社としては,線路を渡るな渡ったら罰金と指示したり,渡れないような物理的な対策をとったりするのではなく,横切る人がいるのを十分に認識し,安全確認の徹底とすみやかな停止という,運用によって,リスクの低減を図ってきたわけです.


松山は,温泉も体によく,大学周辺では680円でこんなに小鉢がついているのかという定食をいただき,日常にない多くのことを経験することができました.
雨の夜,路面電車も通る大きな交差点で,サイレンを鳴らして右折しようとする救急車の数メートル前を,自転車が横切っていました.とはいえ事故には至らず,救急車の運転士が叱ったり,自転車の人が悪びれたりる様子もありませんでした.
この光景が,覚えている限りもっともハラハラしたとともに,リスクコミュニケーションや,リスクに対するさまざまな立場を思うようになった,最大の動機となったことを挙げておき,本日の記事を終えることにします.

*1:もう一つ,記憶に間違いがなければ,行進中に1回は,後輩も,先輩を投げる,という取り決めがありました.

*2:読み替えが必要かもしれません.「リスクを楽観視する段階」(p.240)を例にとると,これを「リスク保有(受容)」と言い換えれば,リスクマネジメントと関連づけやすくなります.

*3:https://twitter.com/RyoUchida_RIRIS/status/644134495948443648

*4:http://togetter.com/li/873801#c2161936

*5:書き出しておくと(p.2):本報告書では、リスクコミュニケーションを「リスクのより適切なマネジメントのために、社会の各層が対話・共考・協働を通じて、多様な情報及び見方の共有を図る活動」と捉えることとする。

*6:組体操の是非や,リスク回避・低減の試みは,「平常時におけるリスクコミュニケーション」に結びつけられます.それに対して,事故が起こってしまったときの対処は,「非常時に行われるリスクコミュニケーション(クライシスコミュニケーション)」です.読み進めると「回復期」という言葉も出てきます.

*7:堺で生まれ育ち,路面電車阪堺電車)に乗り慣れた者としては,「天王寺駅前」を思い起こさせます.