takeruko の小説置場

2012-09-13

銀河英雄伝説のこと

銀河英雄伝説を初めて読んだのは、大人になってからのこと。まだ、学生でしたが、成人はしていました。それまでは、もちろんこの作品の存在は知っていましたし、多くの友人からも薦められたんですが、なんだか読もうと言う気になれなかったんです。
SF自体は、ハヤカワ文庫や創元社文庫に収められている海外の作品を多く読んでいましたし、スペースオペラというジャンルがあることも知っていました。スペースオペラでは、高千穂遥さんの作品を読んでいて、宇宙を舞台に斬った張ったをするお話だと理解していて、それはそれで楽しい物語だろうとは思っていたんですが、更にこのうえ読みたくなるようなものではなかったんですね。スペースオペラにも様々なヴァリエーションがあって、場合によってはアシモフのファウンデーション・シリーズのようなものも含めると知ったのは、もう少し先の話です。
銀河英雄伝説は、スペース・オペラの金字塔と言われていますが、スターウォーズとファウンデーション・シリーズのどちらに近いかと言えば、ファウンデーション・シリーズでしょう(ちなみに田中芳樹先生はファウンデーション・シリーズの最終巻の解説を書いていらっしゃいます)。ファウンデーション・シリーズは人類史とそのメカニズムそのものを主題とした壮大な叙事詩ですが、銀河英雄伝説にもそういう側面はあります。
私は当初、銀河英雄伝説という題名、スペース・オペラの金字塔という煽り文句、長い金髪をひらひらとさせた美形の主人公などなどの要素を見て、スターウォーズの亜流みたいなものかと思いました。スターウォーズが低俗だとか、単純だとか、そういうことを言っているのではなくて、スターウォーズにはスターウォーズの魅力がありますが、私はパルプフィクションの面白さには、もう興味が無かったのです。
専制政治の銀河帝国と民主主義の自由惑星同盟が戦争をして、さあ、どちらが勝つか、みたいなあらすじを聞いても、悪の帝国対ジェダイの騎士みたいな話でしょうか、と解釈してしまって、面白いのかも知れないけれど私には要らないものだと処理してしまっていたのです。
でも、ある年の夏休み、どうにも暇で、長い物語でも読みたいなと思っていた時、そう言えば以前、友達から薦められていたわと思い出して、第一巻を購入して(徳間ノヴェルズ版でした)、読んでみました。
想像していたのと全然違いました。第一巻しか購入していなかったのをすごく悔やんで、翌日、書店が開くなり残りの全巻と外伝を購入しました。
内容についてはこのサイトに来て下さる方であればご承知でしょうから、ここで改めて言う必要はありませんよね。
ものすごく面白く、ものすごく示唆に富み、ものすごく考えさせてくれる堂々たる大河小説でした。銀河英雄伝説の面白さには様々な側面があります。
それぞれに際立った個性を持つキャラクターが好き、戦術の理論やゲーム性が面白い、確固たる世界史の知識に支えられた架空の人類史が今の世界やこれからの世界について考えさせてくれる、等々、いろんな切り口が出来ると思います。
国民的作家と言いますが、社会や歴史について積極的に発言なさって、国民的な影響力を持っていらっしゃる作家の方がおられますね。司馬遼太郎先生や井上ひさし先生、塩野七生先生がそうでしょうが、田中芳樹先生は銀河英雄伝説をお書きになったことで、お望みになればそういうポジションに立てる、広範囲な影響力を潜在的に獲得なさったと思います。
それだけに、銀河英雄伝説を何度も何度も読み返して、私が感じたのは、大人になってからこれを読んで良かった、ということでした。言ってみればこれはつまるところ物語ですから、ヤン・ウェンリーが何を言うにしても、ヤン・ウェンリーの預言者性を損なうような展開にはなりません。彼が言っていることに影響されるだけでなく、批判的にも捉えることが、中高生の時に読んでいたら出来なかったかも知れません。
別にヤン・ウェンリーが言っていることが間違いだとかそういうことを言いたいのではなくて、影響力が強い作品であるだけに、複眼的な見方が出来なくなってしまう、これは作品の問題ではなくて受け手の問題です。
例えばアンドリュー・フォークという悪役が出てきますが、彼は自分の虚栄心を満たすために、専制政治体制の銀河帝国への侵攻を主張しますが、ヤン・ウェンリーは平和の構築が困難になる、同盟の体力を奪うという観点からそれに反対します。しかし言っている内容だけを検討すればフォークの意見にまったく理が無いというわけでもないのですよね。ヤン・ウェンリーの態度は裏返して言えば、現在の自分たちの安寧を守るために虐げられている「他国の」民衆の安寧なんか無視しろ、と言うことでもあるのですから。
私は別にフォークの考えが正しいとか、それを支持するというわけではありません。フォークの態度は現実の政治学のタームで言えばウィルソニアンの態度に近く、これはブッシュ政権がイラク戦争を引き起こした思考態度、その基盤になった考え方に近似しています。アメリカによる侵攻それ自体が多くの犠牲をイラク国民、そしてアメリカの貧困層に強いたのも確かですが、フセイン政権下で抑圧されていた特定の個々人がそれによって解放されたのもまた事実です。
私はここでフォークやブッシュを弁護するつもりはまったくありませんし、私自身、彼らには批判的であるのですが、どちらが一方的に正しいとはにわかには言い難い、考えて考え抜いてなおためらいを持ちながら答えを出さないといけない問題がそこにあるのも確かでしょう。
銀河英雄伝説は物語ですので、フォークの人格を非常に低劣なものとして描くことによってこの選択の困難さ、ヤン・ウェンリーですら「」付の正義として扱わなければならない留保の必要から目を逸らさせています。それが悪いと言うのではありません。物語ですから、ある程度明確性を与えなければ話が進まないのですから。
ただ、物語ですから、やはり現実の世界とは違います。その留保を、中高生が持つのはかなり難しい、それくらい優れた物語であり、影響力がある作品だと思います。
銀河英雄伝説は非常に大きな作品です。物語を受け入れて、キャラクターたちの葛藤を見るだけでも得るものがありますし、いったん留保して、敢えて批判的に読んでも得るものがあります。
たぶん、単にこの作品を愛する、ファンになるというだけでなく、これを素材として自分の考えも鍛えるという広がりを見せたら、銀河英雄伝説は単に好き嫌いの物語ではない、20世紀の日本が生んだひとつの大きな達成になるのではないか、そんな風に考えています。

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