原発も怖いが余震が怖い


こんにちは、みっちです。

悪夢のような震災から先日で1ヶ月が経ちました。
そのちょうど1ヶ月目は、大雨・雷に加え、トドメを刺されたような震度6弱の余震。

やっと落ち着いてきた矢先の大きい余震で
せっかく回復した電気・ガス・水道などのライフラインも再び経たれてしまい
街中は混乱し、スタンドに並んだり、食料の買占めが起こったり・・・力が抜けてしまいます。

その次の日もまた6弱の余震。

今日もまた大きい余震がくるんじゃないか・・・とビクビクしながら生活する毎日です。



原発の方も、未だ予断を許さない状況ではありますが、
いわきに残っている方達は、今は原発よりも余震が怖いのではないでしょうか。。
少なくとも私は今はとりあえず余震の方が怖いです。。



さて、私の実家がある薄磯という地区は、
美空ひばりさんの曲で有名な『塩屋崎灯台』のふもとにある海沿いの小さな町だったのですが
今回の津波の影響をモロに受けてしまい、景色が一変してしまいました。
家族の命はかろうじて助かったのですが、町は瓦礫の山と化してしまいました。

最初に見たときは信じられませんでした。夢ならどれだけいいかと毎日思います。


震災の当日は、地震がきてからそう時間が経たないうちに第一波が来たようです。
それに加え、なぜか降った雪。
家に居た家族は山の上へ登り、電気も水道もない無人の神社の境内で
避難してきた人、津波で山肌に打ち付けられながらも助かった人達と身を寄せ合い
小さな境内に50人近くで小さな火鉢一つに寄り添って救助を待っていたそうです。


一度波が引いて、その間に家族を連れて来ようとした人や
貴重品なんかを取りに戻った人、大丈夫だと高をくくっていた人
こういう方が特に多く亡くなってしまいました。


年寄りを連れて来ようと覆いかぶさるようにして見つかった方
子供をおんぶして逃げる途中で亡くなった方
小さな地域なので顔なじみの人たちばかり。
一部の親戚も含め本当に沢山の方が亡くなりました。
未だに見つかっていない方も大勢います。


最初は足の踏み場も無く、瓦礫の上を足場を確認しながら通る
この家はどこから流れてきた家だっぺ?・・・というような感じでしたが、
捜索に訪れた家族はもちろん、消防の方々、自衛隊の方々の捜索、
道路を通れるようにしてくださったり、困っていると手伝ってくださったり。
毎日毎日動いてくださっていて本当に助かっています。


まだ家族をはじめ、多くの方々が避難所での生活を余儀なくされていますが
片付けに行ったり、行政に早々のライフラインの復旧を求める署名活動をしたりと
一歩一歩前向きに進んでいっています。


実家は1階は浸水してしまい、最初は目もあてられなかったのですが
奇跡的に建物の原型は留めていたので、家族力を合わせ、
近所の方や自衛隊の方にもお世話になりながら今日まで片付け作業をしてきました。
(私はあまり手伝うことが出来ませんでしたが)

劇的!ビフォー・アフター並です!!
【Before】

【After】


きれいになったでしょ?

周りはこんな状態ですが(家のすぐ裏手)

うち、奇跡的に無事。


これだけ見ると何も無かったかのようですが、
中は水・泥がかぶっているので目もあてられないです・・・(^^;)
床板は一部外しましたが、塩を含んだ水で濡れているのでどうしたものか・・・
直すにしてもしばらくは住めないでしょう。
建物が残ってしまっている以上、市営や県営の住宅・仮設住宅には入れないようです。



昨日の12日から、行政の集中瓦礫撤去が始まり、
今放置されている瓦礫をはじめ、『壊して下さい』と書かれている住居は全て撤去される事になります。
当然といえば当然ですが、もうこの地区には住みたくないと思う方も多く、
近所で住もうとしているのは家の家族くらいなので(笑)、どんな景色になってしまうのか複雑な思いです。



ひとつビックリした事ですが、日本の家屋は古くても耐震性はあるのですね。
純粋に地震だけで全壊してしまった家というのは少ないような気がします。
新しい家や、今後建てられる家は耐震性により優れた建物になるかと思うので
更なる技術の向上に期待します!