様々な樹の形

裏山に散歩に行く。横浜ではどこもかしこもかさぶたのように家に覆われてしまい、こうした光景に出会える場所が少なくなってしまった。こんな風に書くとSFというか、ユートピアの反対の、デトピア小説の舞台に住んでいるような気がしてくるが、たぶんそうなのだろう。

デトピアを出て、樹木の世界へ。気温3度の良く晴れた朝。



しっかりしたかたち。繊細でありながら。人間の何倍もしっかりしている。
人の目はそのかたちに芸術を見る。本当はそこにあるのは生きる意志なのだけれど。



伸びゆく意志。それを目に見えるようにしたら、この木のようになるだろう。一直線ではなく、ねじ曲がりながら上昇する先へ。




久しぶりに霜柱を見た。土の地面がなくなったデトピアでは霜柱という言葉は死語である。我が家の子供たちは知らないかもしれない。こんなものに意識が向くなんて都会人の証拠のようなものだ。



太陽が、向こうから覗こうとしている。



恩寵の時が大地を覆う。光のシャワーが細かい霧になって吹き付けてくる。



ツァラトゥストラかくかく語りき」のファンファーレが聞こえてきそうな一瞬。しかしモノトーンのドラマには音がない。



夜の終わり。樹皮が陽の光を喜んでいる。



朝日の暖かさ。



枯れ葉の上を一直線に影が横切って走る。ドラマの時間は終わった。アンチクライマックス的な、しかし冬の光の雄弁な自己主張が一切を取り仕切ろうとする。



メジロがファインダーの中に飛び込んできた。あわててシャッターを切る。案の定自動焦点カメラのピントが合わなかった。



帰り道には富士山がうっすらと。前景の尾根の傾きは左右逆なのだが、『富嶽三十六景』の「甲州犬目峠」を思い起こした。そんな画に仕上げてみた。


皆様良いお年をお迎え下さい。