〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉙ 没後の評価)


[クマシデ]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉙ 没後の評価
  普遍的な感情に共感

  • 啄木は1910(明治43)年12月、第1歌集「一握の砂」を刊行し、そのわずか1年5カ月ほど後の1912(明治45)年4月13日、26歳でこの世を去った。亡くなる1週間前に親友の土岐哀果に託した原稿「一握の砂」は、土岐により「悲しき玩具」と名付けられ、6月に出版された。その後も土岐や金田一京助らの手で、二つの歌集の歌が広く知られることとなった。
  • 国際啄木学会会長で明治大教授の池田功さんによると、戦前の教科書に採用された作品は、望郷や親孝行を詠んだ感傷的な歌が多くを占める。戦後は、自由な雰囲気の中、いわゆる「啄木ブーム」が起き、1946年(昭和21)年には15種類、翌年には13種類の歌集や詩集などが刊行された。
  • 1948年に秘蔵されていた日記が初めて刊行されると、全集に厚みが増し、研究にも弾みが付く。同時に、借金や、妻以外の女性とも関係を持っていたことなど、マイナス面も知られることにもなった。
  • 一方、啄木の詩や評論の思想面、啄木が書き残した「大逆事件」(1910年)についての記録や新聞記事のスクラップは、今なお続いている事件の検証で大きな役割を果たしている。
  • 1989年には、啄木研究の第一人者である故岩城之徳さんらが中心となって国際啄木学会を創立。現在は国内外の会員約200人が組織的に研究を進めている。国外支部は台湾、韓国、インドネシア、インドにある。啄木作品はこれまでに、短歌を中心に14言語、18カ国で翻訳されている。
  • 池田さんは「望郷への思いや母への愛情、日常の何げないことを詠んだ普遍的な感情は、国境を超えて通じ合うのではないか」と分析する。
  • 明治大大学院教養デザイン研究科博士後期課程2年の劉怡臻(リュウイチェン)さんは、「台湾の啄木」と呼ばれる詩人、王白淵(1902〜1965)の詩に、その影響をみる。盛岡の岩手県女子師範学校で教えたこともある王は、「盛岡時代に啄木への認識を深め、歌に共感したのではないか」と劉さんは指摘する。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)
(2016-07-20 岩手日報