4月13日(水)二日酔いの日には、小難しいことを考える

 概ね曇り、朝晩細雨。11℃〜19℃、66%。気温回復。

 後半になってから、花粉症がひどくなってきたからひょっとしてヒノキにも敏感になったのかなぁ?鼻詰まりのせいで口呼吸しているらしく、朝起きると口腔粘膜がカサカサになってまふ。ショボーン





 変化と実在:

 エレア派のパルメニデスは「あるものはあるし、ないものはない。」とした。そもそも変化とは、在るものが無いものになることであり、無いものが在るものになることである。感覚世界は生成変化するが、理性で真に捉えられるものは「不変」だと考えた。これがプラトンの「イデア論」や、後にゼノンの「飛んでいる矢は止まっている」の逆理に結びついた、とされる。

 現代ではマクタガートの「時間は実在しない」が議論に上がっている。すなわち、
A系列:現在を中心に過去・未来と時間の流れを捉える。
B系列:年表のように、出来事を前か後かの順序関係で捉える。

 マクタガートは「時間とは変化である」と定義した後、B系列は順序関係が固定しており変化を表せないから時間に取って本質的では無ーい!と断言した。一方、A系列は変化を表せる。しかしこのA系列にも矛盾が生じると。
1、出来事は、現在である、過去である、未来である、の3つのA特性を全て持たねばならない。
2、この3つは、変化を表すためにはお互いに排他的でなくてはならない。
3、このA特性が出来事に適用されたばやい、出来事はお互いに排他的な3つの特性を全て持たねばならない。
こりは矛盾である!とした。すなわち矛盾が生じるから、時間は実在しないのだと。

 B系列は、ある意味で時間を外側から固定して、空間化して眺めたもので、変化を表さないというのは分かる。A系列は時間を体験者、すなわち内側から経験したもので、リアルに観察できるものは「現在」だけである。過去や未来は意識が作り出したものでリアルに観察できないという「現在」の特権化は確かにある。しかしその現在は厳密に言えば限りなく細くなり実在しない。故に時間は実在しない、ということも言えるかも。

 ダメットは、「そもそも時間は述語的対象(です、である、とかの属性や状態を表すもの)にはなり得ず、その中に入って状況依存的な描写でしか表せないものだ。空間の場合なら外から俯瞰的に眺めると言う立場に立てるが、時間は外から完全に描写することができない。それを外から系列的に描写しようとするから矛盾が生じるのだっ!」と論じている。

 この現実世界は確かに変化しているのだから、ゼノンやマクタガートのように理性(ロゴス)に嵌りこむと、越えられない壁に阻まれるのかもしんないですね。古代ギリシャから現代まで「時間論」は未だにホットな命題であり続けているのです。哲学には正解がないから、いつまでも続くんですね。ホワーン