自分中心
話をきいて喜べたら救われる。念仏をとなえれば助かる。浄土に生まれたい。
「〜たら」 「〜れば」 「〜たい」では、
どんなに気張ってみても 「私が」 が主語になってしまいます。
自分まかせは、どうも落ちつきません。
不思議といっても
こんなことがあるのですね。
手品の不思議さとは全く 次元が違い ます。
比べること自体ナンセンスです。
無条件降伏
「私は、こんな奴!」と重々分かられたうえでのお救い。
救って頂く私には、隠し事は何一つありません。といいますか、隠し事なんかできません。
つまり、そのままの救いなんですね。
救われた証として、白旗までご用意くださり、その旗を上げさせて頂いています。
もう闘わなくてもいいんです。のんびり日暮しとはいきませんが・・・