手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

ふと気付いたら、南無阿弥陀仏につつまれていた

職業といっても、いろいろな業種があります。
どの業種においても、目標数字というものがあります。
標数字を達成した者は、その年の昇給、ボーナスに反映されます。
だから、営業マンは、計画数字を達成するために、いろいろな工夫をして努力するわけです。
また、目標数字達成は、会社の存続に大きく関わっています。
会社側も必死に各営業マンの尻を叩きます。


そんな中、理想的な目標数字達成というものを考えてみたいと思います。
いろいろな業種がありますが、どの業種においても社会貢献に携わっているものばかりです。
例えば、製薬業界。ドクターを通して患者に薬を届ける仕事です。
その薬剤の効果や副作用を正確に紹介しなければなりません。
待ち望んでいる患者に、その薬が本当によいのかどうか。その薬の情報を正確に伝えることは重要です。これは社会貢献に繋がります。
電機メーカー、車メーカー、食品メーカー等あらゆる業種も同様です。生活を便利にさせるという、これまた社会貢献です。


数字ありきの営業は、どうしても社会貢献といった肝が抜けているように思います。仕事をしていてもおもしろくないですし、ストレスも溜まります。
もちろん、目標数字に対して意識することは大切ですが、それ以上に社会貢献というものが先にこなければならないと思います。


社会貢献のためにと仕事に精をだして、ふと気付いたら目標数字も達成されていた。
営業マンとしては理想的です。


阿弥陀仏のお救いは、自分で目標をたてて、その目標に向かって進んでいくものではありません。
阿弥陀さまは、すでに南無阿弥陀仏を用意されておられますから。
だから、わたしは、ただおまかせです。


ふと気付いたら、南無阿弥陀仏につつまれていた。


まことにありがたいことです。

一念覚知

阿弥陀さまのお救いについて「私は何時何分何秒に救われた!」と蜂にでも刺されたかのようにハッキリと感知できるものではないと思います。
阿弥陀さまのお救いを、このように「素手で火箸をつかむかのようにハッキリ分かるものだよ!」という人は、一念覚知の異安心の人だと思います。

阿弥陀さまは何処へ

阿弥陀さまのお救いを、なにか神秘体験があるように思うのは間違いです。
例えば、一旦、真っ逆さまに地獄の底に落ち切って、そこでピカッと何か光が差し込んで初めて救われるとか。
あるいは、「そのまま助ける!」といった声がきこえるとか。
そんなのは、自分中心の思い込みの範疇です。
阿弥陀さまのお救いを、このように錯覚してしまいますと
自分中心の蟻地獄に陥ってしまいます。
また、どうしても自分から、救いをつかみにかかってしまいます。


肝心要の 阿弥陀さまが、
肝心要の 南無阿弥陀仏が、
どこか遠くにいってしまっているのです。