東京タワー

美空 ひばり 歌:昭和34年 3月発売:(コロムビア A 3161)
            野村 俊夫 作詞:船村 徹 作曲


5月連休突入ですね。
まぁわたしなどは例年結局家でごろごろしてるだけのGWなのですが、
皆さんのご予定はいかがですか?


東京スカイツリー、関西地区でも3月半ば頃からTVのCMや電車の中吊り広告
などで見かけるようになりました。GWあけにオープンですね。
7月までは予約無しでは入場できないそうですが、(私の場合)東京に行く用事も
なさそうですししばらくはニュースなどの映像だけで“観光”しそうです・・・・・・


さてタイトル曲ですが、これは現在の(って言い方もヘンだけど)東京タワーが完成した翌年、
昭和34年に出た「タワー讃歌」です。
前年、この東京タワーをモデルにしたTVドラマが放送されています。
「マンモスタワー」森繁久弥森雅之らの出演でした。TV本放送から5年、このドラマが
放送される1月前にかの名作「私は貝になりたい」が放送されてTVドラマ元年とも言われた
この年でしたが、この「マンモスタワー」もまた話題作でありました。


まだまだ“駆け出し”であったTVドラマが映画界を浸食する危惧を描いていましたが、当時
映画界は全盛期。TVドラマごときが・・・・というのが当時の映画界の見方でもあったのです。
しかしこの後時代は急変。映画界の斜陽は皆さんの知る通りで、「マンモスタワー」の世界は
先を見据えていたのでした。


ちなみにこの昭和34年はレコード界でもSPとEPの販売比率が逆転し、SPが過去のもの
となりつつあった時代でした。

♪ワンダフルワンダフル東京タワー〜

旅の喫茶店で

tat__tat2009-10-04

霧島 昇 歌:昭和15年12月発売:(コロムビア 100011)
            高橋 掬太郎 作詞:服部 良一 作曲


夏のハナシをする前に「秋」が来てしまいました。(毎度のことだけどね)


晩秋を思わせるしっとりとしたタンゴ、そして歌唱。
街の喫茶店に腰掛ける旅人。秋雨に冷え切った体を温める、一杯・・・・
とムーディーにストーリーが進展していきます。


ご存じの通りコーヒー豆は赤道をはさんだごく一部の地域に限られ、我が国では
小笠原諸島でわずかに栽培されているほか大多数は輸入に頼っています。


ところで我が国に「コーヒー」なるものが登場するのは江戸末期。一般に浸透する
のは明治半ば〜大正時代にかけて、のようですね。
昭和になってからは女給と酒のイメージが強い「カフェー」といわゆる純然たる喫茶店
にわかれ、その数も飛躍的に増大しました。


しかし戦争が始まると次第に輸入規制がかかってきます
この曲が流れていた頃はすでに輸入が困難になっていてなかなか珈琲の飲める喫茶店
現実には数少なくなっていました。
歌詞でも旅人が口にするのは「冷めた紅茶」で、なんとなく時代を間接的に描写しているように
思えますね。



戦後コーヒー豆の輸入が再会し珈琲の“春”が訪れるのは昭和25年のことです。

東京音頭

tat__tat2009-08-01

日本ビクター・ジャズバンド:昭和 8年12月発売:(ビクター 52932)
            中山 晋平 作曲:飯田 信夫 編曲


もうすっかり間が空きまくってますが(全然メげてません)


季節柄ウチの近所でも盆踊りの練習風景などチラッと見られるようになりました。・・・
の割りにはまだ梅雨が明けてなかったり、とヤヤコシイ天候でもありますね。
(「梅雨明け」を宣言すれば恐らく過去もっとも遅い梅雨明けになる)


で、このレコード。「何だ、東京音頭かよ」って声が聞こえそうですが今回のは
「ジャズ」バージョン。ジャズで音頭ってトコロがいかにもビクターカラーってな気も
しますが、歌詞カードによれば「すぐにダンス出来るようにした」らしいです。


この曲・アレンジを聴いてどう踊るのかよくワカラントコロはあります。
(歌詞カードに振り付けはない)
ところで「東京音頭」は私にとって“SP盤を遠い世界に”した盤なのです。どういうコト
かと言いますと高校生になってスグの頃、大阪市内の某百貨店。たまたま文具売り場に用事
があって寄ったのですが買い物ついでに隣の美術品コーナーのショーケースにあったこの盤。
付けられた値札が、8000円也。「わぁ〜、、SP盤って高いんだ」・・・・・
その日からSP盤が遠い存在になってしまったのです。


最近になって骨董市やネットオークションなどでこの曲など二束三文で売られているコトを
知ってまたまたショック・・・・・・・


話を戻して、この盤のアレンジは飯田信夫。彼の作風を全否定する気はありませんが
良く言えば小気味よくまとまっている、と言えるけれどあえて言うなら色気がない。
これがコロムビアの仁木他喜雄かテイチクの大久保徳二郎だったらどんな味付けにした
のか興味のあるところではありますね。(無理に決まってるけど)

大阪行進曲

tat__tat2009-06-06

(写真左)
植森 たかを 歌:(コロムビア 25619)
      
(写真右)
井上 起久子 歌:(オリエント 60002)


昭和 4年 7月発売:松本 英一 作詞:近藤 十九二 作曲


まず写真左、「コロムビア謡曲」という演目もちょっぴり無理があるような気も
しないではないですが、歌謡曲、というコトバ自体まだ一般的ではなかったのです。
当時大阪市東京市を抜いて日本一の都市になりました。この頃はまだまだ市中に堀が残っていて
水の都、そして煙の都でもあったのです。
歌詞を見ると船場のいとはん、絵日傘、・・と古き良き大大阪がよみがえるようです。


この曲を初めて聴いたのが復刻盤で、解説書により(植森たかを=奥田良三)を判っていて聴いた
のですがやはり伸びのある高音にはただ驚嘆の一語につきます。


全体的には行進曲調のアレンジを施したコロムビア盤の方が出来がいいように感じます。
ただオリエント盤も井上起久子の歌声が高音をややセーブしている印象でかえって可愛く
聞こえます(私には)。
コロムビア盤に比べ飾りっけない、というか素朴な雰囲気のアレンジもいい感じを
醸し出してます。


一番詞にある「ダムに堰かれて/逢えやせぬ」のダムとは水晶橋のことでこの橋の下に
あった水門を開閉して(堂島川の)流量を調節していましたのでこの詞が生まれたのでしょう。
どちらも昭和4年7月の発売。