人生は時の運…支倉常長の偉功を偲ぶ
平成27年1月24日
24日(土曜日)、運動不足解消為、仙台近郊の県民の森に出かけました。
途中、大郷町の『支倉常長メモリアール・パーク』へ立ち寄り常長の墓参をしました。
支倉常長の名前は宮城県内では良く知らています。
常長の墓は3ケ所有り、その一つが山深い大郷町にあると案内板に有りました。
遣欧使節団が乗ったサン・ファン・バウティスタ号の復元船
常長は主君・伊達政宗の命によって1612年石巻の月浦から
スペインに向かいました。7年後帰国、しかし時はすでに
鎖国とキリスト教弾圧の時代に入りキリシタンの洗礼を
受けた身とあっては公の場に出ることも出来ず失意のうちに
亡くなったと言われています。
支倉常長像 常長の墓
[義経伝説]と同じか不明ですが正宗は常長の勲功に
報いるため帰国後死亡したと幕府に届けたそうですが、
実は人里離れたこの大郷町に30年後84歳で亡く
なるまで隠遁生活をしたとありました。
伊達正宗を含め支倉常長も時代がもう少し早ければ歴史が変わっていたことでしょう。
人の運命はその時代と人の出会いによって大きく変ってゆくのだという思いがした墓参でした。
墓参には北海道や関東圏からも訪れているようでした。
注…故人に対して失礼に当たると思い見学をあえて墓参と書きました。