彩色江戸物売図絵
- 作者: 三谷一馬
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1996/03/18
- メディア: 文庫
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前回、「“きよのさん”と歩く江戸六百里」を読んだので、清野があるいた時代の庶民の姿はどうであったかみることにした。物売の様子が150図に表されている。物売が描かれている「守貞漫稿」など各種の本から拾い出し、彩色をつけて再現している。
いろんな職業があったものである。江戸や大坂などの都市では、売り物を担いで回ればそこそこの生活ができたようである。服装も奇抜なものがあり、当時の人も今の人も物を売るには一工夫したようだ。
絵馬などは、今では神社でしか手に入らないが、江戸時代には絵馬売りという商売もあったようだ。我が家には書斎の壁に100ほどの絵馬を飾っているが、それぞれ特色があって面白い。
上の写真は11年前に境港で買った「妖怪神社」の絵馬
「江戸時代には、絵馬を専業に扱う絵馬屋が幾軒もありましたが、元禄(1688〜1704)頃から浅草茅町にあった日高屋の名が最も通っていました。」「絵馬売りは、ほとんどが絵馬屋おかかえの売り子で、売り声は、『ゑまや、がくやがくや』」と本書では紹介している。
ウィキペディアによると絵馬はこう紹介されている。「奈良時代の『続日本紀』には、神の乗り物としての馬、神馬(しんめ、じんめ)を奉納していたことが記されている。しかし、馬は高価でなかなか献納できず、また、献納された寺社の側でも馬の世話をするのが大変である。そのため、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、平安時代から板に描いた馬の絵で代えられるようになった。」
上の写真は宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 越後獅子
俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
●月は東に 昴は西に いとい殿御は 真中に
●思ひ出せとは 忘るるからよ 思ひ出さずに 忘れずに
●吉野川には 住むかよ鮎が わしの胸には こひが住む