不当な控訴棄却と「沖縄絵本」 戸井昌造

 今日は臨時に守大助さんを支援する徳島の会の役員会を行った。先月25日に仙台地裁への再審請求が棄却されたので、それにどう対応するか徳島の態度を協議して、全国連絡会に意見を上げるためのものであった。
 今回の仙台地裁の決定は、まったく科学と裁判の任務に反していると考える。裁判官は、中立の立場で公正な裁判をするために、その良心に従い独立してその職権を行い、日本国憲法及び法律にのみ拘束される(日本国憲法第76条)とされる(裁判官の職権行使の独立)と定められているはずだが、棄却を決定した文書を読んだが、最初から棄却ありきの姿勢が見られた。裁判官にとって守さんの人権は、鴻毛より軽いのだろう。
 徳島の会の会長として、おおよそ下記の文書を発表した。

 3月25日、守大助さんが仙台地裁に求めていた再審開始請求が棄却された。河村俊哉裁判長は決定理由で、「新証拠は新規性自体が認められないか、信用性に疑問があり、確定判決の事実認定に合理的疑いは生じない」としている。
 守さんが出した再審請求のどこに新規性がないのか、どこが信用性に疑問があるのか、裁判長の頭の中をのぞいてみたい。科学に立脚せず、真理を求めようともしない姿勢にはあきれてしまう。
 守さんが逮捕されて12年が経過し、当時29歳だった彼はもう42歳になってしまった。人生の一番充実した時期を、刑務所というところで監禁されて過ごさなければならないということは、大きな人権侵害である。国民の人権を守る立場にあるべき裁判官が、検察・警察と一緒になって人の自由を奪うことは断じて許されることではない。
 今までに8万筆ほどの再審開始を求める署名が裁判所に届けられたが、署名に応じた一人ひとりの顔を思い浮かべたことがあったのだろうか。はなはだ疑問である。
 2月12日に仙台市で、守さんを支援する全国連絡会の交流集会があり、私も参加した。多くの方が守さんを支援し一刻も早くご両親の元に取り戻そうとしていることが理解された。翌日は裁判所・検察庁に要請に行ったが、私たちの要請の中身をまったく理解していない、というのが今回の裁判長の決定である。
真実は必ず明らかになり、守さんを刑務所に閉じ込めておくことを決めた、裁判長にはその過ちを必ず償ってもらわなければならない。
袴田さんの再審開始が認められすぐに釈放されたのとはえらい違いである。とにかく再審を開始して、裁判長のいうことが正しいのか、それとも守さんの請求が正しいのかを判断させるために、私たちは全国の支援する仲間とともに今後も全力を尽くす。


 前回、戸井昌造の「戦争案内」について書いたが、どうもここに出てくる絵はどこかで見たことがあると思い、図書目録を見てみた。すると2000年6月に買った表題の「沖縄絵本」という本が出てきた。ずっと積読であった。著者は、秩父事件についていろいろ書いているが、その後沖縄でも暮らし「沖縄絵本」を書いている。見開きページの半分が文章で、あとの半分が彼が描いた絵である。

沖縄絵本 (平凡社ライブラリー)

沖縄絵本 (平凡社ライブラリー)

 1989年7月に晶文社から発行されている、再刊である。著者の戦争体験(戦争案内参照)が色濃くこの本に現れている。1989年であるから現在以上に沖縄戦のあとが残っている。沖縄の離島を含めいたるところで戦争の遺跡が見られる。「ガラビガマ」の項では、「私には、沖縄本島南部一帯の自然壕が、沖縄戦の悲惨を倍加したように思えてなりません。というのは、当時の日本軍(国家と置きかえてもいいです)は、沖縄人のために自然壕の利用を考えたのではなく“捨て石としての沖縄”の価値を少しでも長びかせるために自然壕の利用を考えたに過ぎないからです。」と語っているが、全くそのとおりではないだろうか。今でも沖縄は捨て石である。
 モノトーンで描かれた絵たちが、沖縄の苦難と同時にそれに負けない彼らを表現していると思った。
 離島について描かれている部分では、彼の手書きの島の地図があり、それを見ているとぜひ行ってみたい気にさせられる。付録として奄美列島の旅があり、そこでは奄美大島に住んだ孤高の画家田中一村について触れている。一村のあばら家の旧居に行き(デッサンが掲載されている)「私も秩父那覇で仮住まいをしましたが、彼の、草木におおわれてじめじめしたトタン家を見て『負けた』と思いました。こんな思いにしてくれる画家は日本にはそうはいません。」と書いている。一村の記念館が奄美空港の傍にあり8年前に連れ合いと行った。彼の作品集もNHK出版から出されている。
 旧居も保存されている。このことについては、2008年5月に自費出版した「孺子の牛」で少し触れている


田中一村の旧居

 「沖縄絵本」でうれしかったのは、付録として小さなCDがついていたこと。「島歌」と題したこれには、「なーくにー」「山原手間当」「七月エイサー」「てぃんさぐぬ花」「とぅばらーま」の5曲が収録されている。しかも「なーくにー」は風狂歌人とも言われた嘉手刈林昌が歌っているのであった。嘉手刈林昌についてはボーダ新書「島唄レコード百花繚乱」を参照のこと。

島唄レコード百花繚乱―嘉手苅林昌とその時代 (ボーダー新書)

島唄レコード百花繚乱―嘉手苅林昌とその時代 (ボーダー新書)



どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○西洋すがたヅボンとはまり 袖ないおまへでくらうする
○ほれた同士の官員さんは 九時の出仕がおそくなる
○文明開化を知らないものは しんぶんせんじてのませたい