ワイルドカード7巻 7月25日 正午

   ジョージ・R・R・マーティン

        正午


病院側は手当をしたがったが、もちろん
それどころじゃない。
二言三言話し、痛み止めだけ出してもらって、
ブレーズだけちゃんと治療してもらうことに
して、ハイラムを伴い、看護婦にタクシーを
呼んでもらうことにした。
ティ・マリスに監禁されていたところから
アトランタの中心に来るまで一時間ぐらい
かかったが、車で移動している間も、ハイラムは
ぼんやりと窓の外をみつめたままで、ほとんど
何も話さなかった。
震えが抑えきれないようでいて、その目は
パニックの色を色濃く残したままで、
「私は一人になった」ぽつんとそう呟いたが、
ジェイはそれに応えることはできなかった。
会話をする気力すら沸いてこず、ただ伸びを
して目を閉じていた。
それから気がつくと、
「着いたよ」とそっと脇を小突かれ、
そうハイラムに声をかけられて、
よろよろと腰を上げ、財布を取り出して、中身を
探ったが、何も入っておらず困っていると、
「もう支払いは済んでいるよ」
ハイラムからそう告げられ、タクシーから降り、
ホテルに入っていった。
マリオットのロビィでは騒音で頭痛に響き、
エレベーターの一つは動かなくなってるわ、
ずきずきする目の奥の痛みに耐え、何とか
別のエレベーターに転がり込み、目指す階の
ボタンを押すことができた。
それからジェイはブレーズの鍵を使って
タキオンのスイートに入り、最初にバーに
入って探し、ハイラムは寝室に向かった
ところで、「タキオン」と声をかけてみたものの、
返事はなく。
「ここはいないようだ」
次にリビングに入っていたハイラムがそう教えて
くれた。
「そのようだ」ジェイはそう応え、
「仕方ないな」そう言葉を継いで、
座って待つことにした。
ハイラムは何か飲もうと思ったのか、バーに入り、
ボトルをみつめ、ただそのまな立ち尽くしていた。
それを大きななりをした迷子の子供のようだ、と
思い見ていると、
汚れたグラスを掴み、拭いてから、煙草で一杯に
なった吸い殻入れを掴み、ごみ箱を探し、中身を
捨てていた。
その時ドアが開く音がして、車いすに乗った
タキオンが包帯の巻かれた片手を抱えて入ってきた。
車いすを押してきたのはジャック・ブローンだった。
「おい」ブローンはそう口火を切り、
ジェイをじろっと一睨みし、
「ずっと探してたんだぞ。どこにいたんだ」と
詰問されたが、
「ジェイ、ハイラム」タキオンがそう言って、
車椅子から身を乗り出し、
「何があったというのです?ブレーズはどこ
ですか?」と訊かれ、
「病院だよ」と応えると、
タキオンは目を白黒させつつも、
「無事なのですか?」と被せられ、
「頭蓋骨に軽微な損傷があり、歯も何本か折っている。
加えて顔に擦り傷や痣はできちゃいるが、医者が言うには、
命に別状はないそうだ。
とはいえ数日は安静にしとかにゃならんが、
それだけだよ」
そこでタキオンは自分が殴られたかのように
よろめいたが、ジャック・ブローンが素早く
その身を支えていて、
「何てことをしてくれたんだ。年端もいかない
子供をそんな危険な目に……」
そう言って突っかかってきたが、
ジェイはその顔先に指で狙いを定めると、
ポンという音と共にジャック・ブローンは姿を
消していた。
今頃はフリーカーズのステージの上で途方に
暮れているに違いない。
「悪かった」もごもごそう謝ってみたものの、
「頭が開きそうなほど痛むんだ、まともに
話せそうにない。
ところでその車椅子はどうしたんだ?」
そう話を代えると、
「ジャックのアイデアでしてね」
そう応えたタキオンの声は弱々しいものだった。
そこでまたよろめいて、片手でその身を支えようと
したが、そこには手はなくて、包帯の巻かれた手首の
跡をおしつかたかたちになり呻いていたが、
「まぁ座ってくれ」そう促すと、
タキオンは車椅子に腰を落ち着け、膝頭に腕を乗せると、
バーに入っていったジェイに、
「何をしているのですか」と訊いてきた。
そこで「何か飲んでもらおうと思ってね」と応え、
「こいつが必要だろうから」と言葉を添え、
バーボンに氷の入ったタンブラーをタキオン
差し出すと、左手でそいつを受け取りながらも、
「バーボンなんて……飲むわけにはいきません」
そう言って一端は拒んだが、
「飲みなよ」そう言葉を継いで促すと、
タキオンはそれを飲み、その菫色の瞳に恐怖を滲ませながらも、
「話してください」そう言葉を絞り出したころには、グラスの
半分は空いていた。
そこでジェイは全てを話すことこにした。
タキオンは黙って聞いていたが、百足人間のくだりの辺りで
涙を頬に零しつつも、それでも口を挟まなかった。
「ティ・マリスを飛ばした後は、依代どもを相手に
することになった。
エジリィは叫んで怒りを露わにしたが、他の子どもを抱えた女は
正気に戻ったようで、ぽかんと呆気にとられたような顔をしていて、
どうにも何が起こったか理解できていない様子だった。
そこで警察を呼ぼうとしたが、ハイラムに止められた。
そこで「ハイラムに?」とタキオンは声に出し、
巨漢のエースに視線を向けると、
ハイラムはまるで頭が重くて、動かすのがつらいとばかりに
鷹揚に頷いて返すと、
「もう終わったことです……悪徳の終焉です。
私もそこに呑まれていました。
依代の立場で何ができたでしょうか?
我々は皆、あの方の手となり口となり脚となり、
道具とされていたにすぎません。
殺したのはティ・マリスです。
あなたのお孫さんじゃありません。
私はブレーズに罪を問うのは忍びないと考え、そう伝えました。
本当に裁かれるべき人間はもうそこにいない。
だとしたら残された者達にも罪を問う必要もないというものでしょう。
サーシャのことはよくご存じでしょう?ドクター。
悪い人間ではないはずです。
もちろんエジリィに関しては事情が異なるわけですが、
そこに何の違いがあるでしょうか?
マスター程の罪はないというものでしょう……
ずっとあの方の依代として生きてきたのですからね」
「ぞっとしない生き方だがね」ジェイがそう言うと、
「私とてそうです」と陰鬱に言い出され、
タキオンがいたたまれない顔をしているところに、
「口づけがないということが……」そう言って口を濁したところに、
ハイラムは頷いて返し「それがどういうことかは……
想像もつかないでしょうね」と返し、
「ああ、ハイラム」
タキオンは古い友人に同情してそう漏らし、
「あなたは私に相談すべきでした」
そう言葉を継ぐと、
「すべきことはそれだけではありませんでしたよ……」
ハイラムがそう言ったところで、
「何にせよだ」ジェイがそう口を挟み、
依代は解放されたじゃないか」そう言葉を継ぐと、
「あれで全員なのですか?」
タキオンが恐る恐るそう言い出したから、
「わからない。調べている暇はなかったからな」
ジェイはそう応え、
「チャームならクリサリスを殺せたのじゃないか、
とは思ったがね」と言い添えると。
「チャームですって?」タキオンもそう訊き返し、
「だとしたら何の目的で」とも訊かれ、
「クリサリスの情報網は至る所に及んでいた。
ティ・マリスに関する何かを掴んだのかもしれないな。
存在が暴露されるだけでも、憐れなまでに無力と
いうものだろうからな。
クリサリスが何かを掴んだとしたら、おそらく
サーシャが奴の手に落ちていたことまでは掴めて
いなかったということか。
だとしたら理解できるというものだ。
信頼していたテレパスがそのマスターにご注進に
及び、その結果マリスはチャームにあの人を
連れてこいと命じたか、あるいはサーシャの知ってる
誰かを殺し屋に仕立てたか。
いずれにせよサーシャさえ手中に治めておけば、
自由にパレスに出入りできるというものだろう。
ひょっとしたらマリス自身がチャームに宿って
直接手を下したということすらありえる。
誰かの死を味わいたいなどと抜かしていたからな。
まぁ実際どうだかは今のところ誰にもわからんわけだが」
「クリサリスを殺したかもしれない奴に迫っていながら」
タキオンは心底不思議そうにそう切り出して、
「どうしてみすみす逃がしてしまったのですか?」と
言い添えた。
「手を下したのがチャームだったとしても」
ジェイはそう返し、
「そうさせたのはチャームじゃない。ティ・マリスなんだ。
まぁ確かにティ・マリスも逃がしちまったわけだがね」
そう応えると、タキオンはバーボンを口にして、
しばらく考えこんでいたが、
結局は頷いて返し、
「もう充分に血は流されました。
もう終わりにしなくてはなりませんね。ジェイ」
「そうかもな」ジェイはそう応えつつも、
「結局バーネットが正しかったのかもな」
とつい口にしてしまい。
「あの男が正しくなどあるものですか」
タキオンがそう言い返したところで、
ハイラム・ワーチェスターが立ち上がって、
「もう行かなくては、荷物もまとめなくてはならないし……
チェックアウトもしなければならないから……」
消えうるような声でそう言うと、
「もちろんそうすべきでしょうね」タキオンがそう応え、
「済ましちまいな」ジェイもそう言って、
「俺は待ってるから」そう言葉を継ぐと、
ハイラムは頷いてそこから出て行き、後ろ手で
ドアを閉めていった。
そこでアクロイドはタキオンに向き直り、
「あんたの助けが必要なんだよ、ドク。
あれは中毒のようなものだ。
自分でもその口づけは麻薬の何百倍に
思えたと言っていたからな」
「もちろん必要な手は尽くしますよ」
タキオンはそう応え、
ハイラムには借りがありますからね。
返しきれないほどの、血にかけて贖わなければ
ならない借りができてしまいました。
孫の命を救ってくれましたからね」
異星の男はそこでかぶりを振って、
「どうして私を頼ってこなかったのでしょうか?」
と痛みの感じられる声でそう言っていた。
「問題はそこなんだがね。あいつの友人であるあんたも、
そして俺も気がつかなかったんだ。誰も責めはしないさ」
タキオンは涙を流し、深い罪の意識の感じられる目をして
見つめ返してきて、
Shitおいおい」
ジェイはそう呟くことしかできはしなかった。
ジェイ自身にしたところで、罪の意識も、恥も恐怖も
売るほどあるというものだから、そう思いつつ、
「過去のことはもう忘れることだ、立ち直らせることだけを
考えるべきだ。
あいつはそんな状態にありながら、あんたの孫を救けて
くれたんだからな。今度はこっちの番だ」
「それだけを考えるべきでしょうね」
そう言ったタキオンに頷いて返しながらも、妙に
いたたまれない気持ちに襲われ、
「あいつのところに行って荷造りでも手伝おうかな」
そう告げて、
「まともな状態じゃないのだから」そう言葉を継ぐと、
「そうですね」タキオンがそう応えたところで、ジェイが
ドアを開けると、そこにハイラムが立っていた。
その巨体を震わせ、えらく悲しい目をしているではないか。
「ハイラム、どうかしたのか?」ジェイがそう訊くと、
「いや……何でもない」ハイラムはそう応え、
「どうにも神経がぴりぴりするものでね」
そして頭から何かを振り払うように瞬きをしてから、
「ジェイ……もしよければ……いや差し支えなければだが、
部家に一緒にいてくれないだろうか……どうにも……
今は一人になりたくなくてね、わかるだろ?」
ジェイは頷いて、ハイラムに着いていこうとしたところで、
車椅子に乗ったタキオンがいたたまれない様子で、
「私も行こうか?」
てらいのない異星の男のそんな些細な一言をハイラムは
嬉しく思ったのかしらないが、視線を向けただけで、了承
したとみえて、誰もその後の言葉を発することなく、
エレベーターの着くのを待っていると、
タキオンはジェイに視線を戻して、
「一つだけ気になっていることがあるのですが」
そう切り出して、
「ティ・マリスをどこにテレポートさせたか話していませんね」
そう言い出した。
「まぁそのなんだ」そう前置きし、
「俺が力を使うとき、飛ばしたい場所を明確に脳裏に思い浮かべる
必要がある。
普通はそうなんだがね。
思い浮かべる時間が充分にないまま、誰かを飛ばしちまうとね。
思いがけない場所に相手を飛ばしてしまうことになる」
「それはどういうことでしょうか?」
タキオンがおぞおずとそう訊き返すと、
「病院からいつも飛ばしているような場所に電話して確認して
みたが、どこにもマリスは姿を現しちゃいなかった。
そこで思い返してみたんだ、あの野郎が這いよってきたときに、
俺が考えていたのは、いつも見る悪夢のことだった。
子供のころから見続けていたやつだ」
そこでジェイは一端口ごもり、
「おなじみの場所ってわけだ」そう言って、
「そういうことになるかな」そう言葉を継ぐと、
ドクター・タキオンはしばらく考え込んでいたが、
ブザーが鳴って、エレベーターのドアが開くと、
ゆっくりとジェイに頷いて返し、それから
視線を外して、エレベーターに乗り込んでいったのだ。