消えた京都・河原町のゲーセンたちは今

京都・河原町にあるナムコの直営店
「ワンダータワー京都」が2014年2月で残念ながら閉店するそうです。


1996年にこの店舗が開店した頃、河原町周辺はゲーセンがひしめき合う繁華街でした。
ビデオゲームはほとんどが1プレイ50円、
店が多い分、見たこともないような新作だって巡り合いやすい。
凄腕のプレイヤーだって当たり前のように居る…。

個人的な話になりますが、滋賀の片田舎で過ごしていた自分にとって
河原町界隈は、頑張れば足を延ばせる範囲にある、ゲームの楽園とすら映ったものです。
実際、90年代後半〜2000年代前半は、結構な頻度で入り浸ってました。


しかし、時が流れた現在。
もはや河原町周辺に、往時のゲーセンはほとんど残っていません。
特にビデオゲーム中心の店舗は、今も対戦格闘ゲームの猛者たちが集う有名店「a-cho」を除き
絶滅してしまったといえます。



あの頃ゲーセンがあった場所は、どうなったのだろう。

そんなことを考え、京都へふらっと出かけたのが昨年の秋。
かつてゲーセンがあった場所の写真とともに、
当時の思い出をつらつらと書いてみたいと思います。








早速、まずは四条の河原町通り周辺から。
「ワンダータワー京都」です。開店当初は「ナムコの巨大ゲーセンができた!」と
かなり話題になったものでした。
何故か上の方の階にゲーマーズがあったり、
KBS京都のラジオ番組の公開生放送をしたら凄まじい人手で大変なことになったりと
ゲーセンらしからぬ特徴や出来事のあった場所でもありました。


そんな妙な幅広さや、プライズゲームの多さなどもあって忘れられがちでしたが
ここは意外にビデオゲームには理解の深い店舗でもありました。
2000年前後には、基板を持ち込んでのプレイが許されていた覚えがあります。



昨年秋の時点でも、ビデオゲームコーナーは
規模を1階の半フロア程度に縮小されていたにも関わらず
ワルキューレの伝説」など、通好みなタイトルが稼働していたくらいでした。
つくづく、惜しいですね…。
これだけこだわりの見られる店舗が、消えていくのは。






「ワンダータワー京都」のほぼ対面にあったのが「プレイランドキング」。
今やパチンコ屋…というか、キングは元々パチンコが本業でゲーセンは副業っぽいので
元に戻ったと言う方が正しいのかもしれませんが。
ちなみに「プレイランドキング」は現在でも七条と円町に店舗がありますが
かつては河原町を含め、京都市内にいくつも点在していました。
写真の場所にあった店舗は、音ゲーの入荷状況が良かった記憶があります。







河原町通りを三条方面に向かい、路地に入るとあるのが「京劇ボウル」。
今では普通のボウリング場ですが、かつては超巨大ゲーセンを併設していました。


申し訳程度に残された、ゲームコーナーの奥にあるシャッター。
この先には1階降りて広いフロアがあり、大量のゲーム機が設置されていたのです。
メダルゲームが多かったような気がしますが、
それを尻目に置かれたビデオゲームがまたマニアックなラインナップで
「どきどきアイドル スターシーカー」とか「クイズ ああっ女神さまっ」とか
スタッフの偏った趣味としか思えないようなタイトルが結構ありました。
…まぁ自分は、それを大喜びで遊んでたのですが。





その「京劇ボウル」の隣はタイトーの直営店があったりと、
この三条周辺は密かにゲーセン激戦区でした。
未だ、タイトー直営店の跡地にはテナントが入っていないようです。








少し戻って、三条と四条の間。
新京極通りもまた、ゲーセンが多く立ち並んでいた場所です。



特に目立ったのが、蛸薬師堂のすぐ近くにあるゲーセン。
飛行機をぶった切ったようなオブジェが特徴的な「京都オリンピア」です。


今やプリクラ専門のゲーセンとなっていますが、
かつてこの店は、京都のゲームメーカーだったビデオシステムの直営店でした。
…かといってビデオシステム作品が優先的に入荷されていた記憶もないんですけど。
なんかダイナックスこと中日本リースのクイズゲームを遊んでた覚えが。







その隣にある「スターダスト」は、今ではプライズゲーム専門店ですが
2000年代前半までは、ビデオゲーム中心の店でした。
ここもまた品揃えが異様にマニアックで
「NEO Mr.DO!」とか「さるカニハムぞう」とか入ったかと思いきや
ダンジョンズ&ドラゴンズ」の4人同時プレイ台が平然と稼働してたりと
商売っ気があるんだか無いんだか分からない店でしたね。







新京極通りを四条方面へ戻ると、右手に見えてくるのが「パピヨン」。
2000年代後半には、京都の音ゲーの聖地として知られた店舗です。
残念ながらここも、現在はプリクラ専門店になってしまいました。


ここは音ゲー、マイナーなところまできっちり入荷してくれてましたね…。
ジャレコの「VJ」は当時ここでしか見たことがなかったし、
自分的に心の1作である「ロックントレッド」シリーズと出会ったのも、この場所でした。
個人的には、京都に来たら「a-cho」と「スターダスト」、
そして「パピヨン」は必ず回る店でしたね。







さて、最後は新京極通りをずっと進み、四条通りの出口にほど近い場所の路地。
「美松劇場」という、歴史ある映画館があった場所です。
この周辺には劇場と同系列の経営と思われるゲーセンが、いくつかありました。

とはいえ現在残っているのは、プリクラ専門店の1店だけ。
この近くにあったゲーセンは、90年代前半に初めて京都へ来た時
あまりの品揃えに驚いた記憶があります。
戦国エース」に「アンダーカバーコップス」、「ファンタズム」。
さらに当時ですら貴重筺体とされた「ナイトストライカー」まで設置されていたのですから。


いずれも、滋賀ではそうそう見ることができなかったタイトル。
「すげぇ!すげぇよ京都!」と、
ゲーメストで知識だけはあれど実際のプレイはなかなか叶わなかった
片田舎のゲーマーに憧れを抱かせるには、十分すぎるほどのインパクトでした。
…未だに思うんですが、何故こんなタイトー直営店でもない場所に
ナイトストライカー」があったんだろう。








他にも河原町周辺には、数え切れないほどのゲーセンがありましたが
現在はほとんどが閉店してしまいました。
生き残っている店も、プライズやプリクラ専門店になってしまっています。

修学旅行生が多く訪れるという場所柄、それはそれで正しいのでしょうけど
この地に強く憧れ、多くのゲームと出会った自分には
移り変わりが寂しく思えるのです。

願わくば、ビデオゲームの、ゲーセンの灯が河原町周辺から消えませんように。