神武東征伝説と「幻の大和国」(その13)

3世紀頃に纒向にヤマト王権の原型が作られる以前、「桃太郎」の民話のように「西から来た英雄」の物語が広範囲で語り継がれていた。それらは大筋では共通していたが、やはり「桃太郎」が、どこで産まれたとか、鬼が島はどこにあったのかといった細部において異なっているのと同様に「定説」が存在していなかった。しかし、当時の人々は「正解」があると信じていた。


そして、「古代の忘れられた都」を探すための考証がなされ、それが「ヤマト」にあったとの結論を導き出した。「古都」には祭祀施設が新たに建設され、そこを「首都」にし、後に「天皇」と呼ばれるようになる「英雄の後継者」を「首都」に置いた。


これまでの俺の考えをまとめるとこうなる。そして、さらなる問題。「天皇」(以後「天皇」と記す)はどこから来たのか?


常識的に考えれば、「倭国」の領域のどこかから来たということになる。よく言われているのが、諸国連合の中で最大の勢力であった豪族が天皇家の祖となったというもの。しかし、俺はそれを支持しない。最大の豪族であろうと、それは所詮、相対的なものにすぎず、それだけで諸豪族の上に君臨することは不可能であろうと思うからだ。


後の時代の、鎌倉幕府室町幕府江戸幕府も、その権力の源泉は、最大の武士団だったからではなく、征夷大将軍という官職があったからであろう。豊臣秀吉の場合は関白・太政大臣であった。それにより他の武将よりも優越した位置に立つことが出来たということだろう。つまり、武士の上に天皇という超越した存在があったということ。


だが、「天皇」の存在しなかった時代、当の「天皇」になるべき人物を決める際に、豪族の中で有力だというだけで、権力の正当性を保障すべき「天皇」に該当するような存在からの「お墨付き」を持たない権力は、非常に不安定なものとならざるを得ないだろうと思う。


だとすれば、「天皇」になるのに相応しい人物は、生々しい現世の権力ではなく、彼らを超越した宗教的な一族から出た人物ではなかったかと思うのだ。


(つづく)