僕がドラえもんを読み始めたのは、親戚のお兄さんの家に単行本があったからだと思う。今では貴重となったかもしれない若い巻の「ドラえもん」を「大人」になっていくお兄さんから何冊か貰って読んだものだが、そのころの僕にはその魅力は1面だけであった。今ではよく思い出せないけど。
小学校で習字の塾に通っているころには、そこに誰かが買ったコロコロが置いてあったりして「日本一のギャグマンガ」を貪り読んだものだが、そのころのドラえもんは「日本一のギャグマンガ」ではなかった。むしろ本格的なSFマンガとも言える大長編が主に連載されており、僕らは常にハラハラドキドキした。
それと前後して、テレビでは「ドラえもん」というアニメを見ていた。映画といえば「ドラえもん」であり、そこから僕ら兄弟は大長編のマンガを貪り読んだのだ。映画を見る代わりに。
だから僕は「ドラえもん」との出会いは遅い。藤子アニメを熱狂的に好きであり、FFランドも何冊か*1買った。それでもドラえもんに出会えたのはもう少し後のことだ。僕らが買っていた新しいドラえもんは、本来の意味でドラえもんではなかったからだ。
それを考えれば、ドラえもんといつ出会ったのかはよくわからない。中学か高校のうちだったか、それとも大学に入ってからだったのか。
だからまあ世間一般の人がドラえもんに出会えていないのは仕方のないことである。僕は以前「オバQ」を知らないという人に出会ったが、時代を考えればもうすでに「オバQ」を見ずに過ごすことは可能なのだ。だんだん「オバQ」と「ウメ星デンカ」との垣根がなくなってきている。
つまりはドラえもん、いや藤子不二雄という漫画家は、成人するかそれに近いような状態で、再発見しなければならないのだ。再発見しなかった人にとって「ドラえもん」とはアニメで日々劣化していく姿であったり、思い出の中のバギーちゃんだったりする。
そしてもう一つの発見がある。他の漫画家の中に藤子の姿を発見することである。こうなるとマンガというものに魅了されている状態なので一般のマンガの読み方とは違ってしまうことになり、溝はさらに深くなることでしょう。


「…おまえ『パーマン』知らねーのか? グレート!
パーマン』知らねーやつがよぉー この日本にいたのかよォー
本当かよ信じられねーやつだぜ… こんなやつと会話したくねーって感じだな!
ガキのころ何TV見て育ったんだ? 育った文化がちがうっつつーかよ
ビスコ食ったことあんのか? B・Bクイーンズ知ってっか? おめーっ」

*1:惜しむらくは本当に数冊だけしか買っておらず、しかもボロボロになっていることだ。そのころ僕らはFFランドの「ドラえもん」をニセモノだと決め付けていたのだ。ちょうど「ロッチ」のように

チョコが好きすぎる。何かを食べたいって思うことはあまりないのだけど、チョコだけは病気みたいに「食べたぁいいいいいい」って四六時中思ってますね。まあその割には食べないけど。
早速だけど、昨日の日記が嘘だらけだと判明しました。仕事って疲れるわあ。休みって大切やわあ。明日は5時起きやわあ。
とチョコを食い終わった僕。