人は意外に合理的 新しい経済学で日常生活を読み解く

人は意外に合理的 新しい経済学で日常生活を読み解く

人は意外に合理的 新しい経済学で日常生活を読み解く

作者の名前から、多分どっかで読んだことある作者の本だった気がするって感じで買ったんだけど、帯にちゃんと書いてあった。以前ここでも感想を書いたまっとうな経済学の人でした。
最初はただ面白いだけの本かと思ってたけど、読み進んでいくうちに、地方公務員のような人が読むべき本かもなあと思ったりした。第5章あたりから貧困地区と裕福地区のような話が出てきて、さらには都市と地方の違いへも話が波及していく。人々が行う選好や差別は実は合理的だったりするのだ。そのような事実や仮説は、前著の題名を直訳するなら、「覆い隠されて*1」いる。経済学の手法、実験がそれらをはぎ取ってくれるのなら、我々はそれを知ることが利益になると思うのだ。
ただ、知ったからと言って解決が難しい問題もある。行動的な経済学者であっても、社会活動家にならないのはそういうことだろう。しかし、地方に住む我々地方自治体職員は、都市と地方の仕組や宿命について知っておくほうが気持ちが楽になるだろう。
余談だが、インターネットが発展した後になって私が都会、とりわけ東京に憧れるようになったのはこの本にも書かれていたことが原因だろう。今でも都会に憧れているが、都会の示す魅力(つまり、人に会えること)というものを明文化してもらえたことは、自分が選択をするにあたっても助けになるような気がする。
以下、覚えておきたいこと。農業に対する補助金、または輸入障壁(関税のようなもの)は、どの先進国にもある。その仕組は、農業は国民の少数派であり、斜陽産業であり参入障壁が高いこと等が挙げられる。アメリカにおける車産業も条件を満たし、特に今はこの様相を呈している。骨子は、「国民の多数から薄く広く金を集め、少数でそれを享受し、政治にキックバックする仕組」とかかな。前提条件が変われば内容も変わる。産業の発展する前は国民に農民の占める割合が高く、上記条件を満たさなかったため、農民は利益を得ずに逆に搾取*2された。これらは現在の最貧国でも同じであり、国民の多数を占める農民は搾取されており、また搾取されるような仕組にもなっている。独裁のような政治を直すことも必要だが、政治が直されたとしてもそういうことが残る可能性はある。
あと、マルサス人口論で、技術は1、2、3、4としか増えないが、人口は1、2、4、8と増えるから将来ヤバい、みたいな歴史的ミス発言をしたが、マイケル・クレマーという人がそれを劇的に覆した。「役に立つものを発明する可能性はどの原始人もほうかの原始人と変わらない*3」、または「技術進歩の速度は、世界人口に比例する*4」。つまり、技術も人口に比例して1、2、4、8と増えるのだ。これが1万年で起こらなかった変化が過去100年、10年で起こった理由。人口って大事。日本の発展だって日本の人口の多さ、そしてまたアジアの人口の多さに寄ったのかな、とかいや逆に日本も欧米の一員として発展したのかとか適当に。
最後になるほど面白い本です。人類の歴史のように?

*1:unndercover

*2:年貢とかですか?

*3:P334

*4:同じくP334