ブルー/RCサクセション

ブルー/RCサクセション

 当ブログで和製ミュージシャンのアルバムを紹介するのは始めてですが、日本シリーズも終わったということで、RCサクセションです。というのも、忌野清志郎は大の中日ドラゴンズファン。今年7月に「喉頭癌」のため長期療養中の清志郎もさぞ嘆いていることでしょうが、中日は負けたけど、癌には負けないでくれ。日本で数少ない「本物」のロック・シンガーの声をもう一度聴かせてくれ!

 まあ、良く知られた話ですが、RCはフォークのトリオとして1970年にデビュー。シングル「宝くじは買わない」をリリースしますが、清志郎のヴォーカル以外の音源はすべてスタジオ・ミュージシャンの演奏に挿げ替えられ、後に清志郎自身が「ガキだったから騙された」と語っているように、72年には「ぼくの大好きな先生」がそこそこのヒットを記録するも、レコード会社への不信感は消えなかったようです。それ以降はほとんど仕事に恵まれず、不遇の時期を過ごします。
 76年に事務所を移籍し、この頃はもっぱら井上陽水上田正樹カルメン・マキ&OZらのライブの前座として活動していたようですが、ちょうどこの頃、矢沢栄吉のライブで「矢沢B吉事件」が勃発。栄ちゃんのライブの前座をつとめたRC(清志郎)が、「矢沢B吉でーす。いま「A」ちゃんは楽屋でクソしてまーす」という「気の利いた?」MCを展開。残念ながら、「栄ちゃん信者」に冗談は通じなかったらしく、激怒したファンの怒号で会場は騒然。それでも清志郎は平然と歌い続けたというエピソードが残っています。
 その他にも「ボスしけてるぜ」という曲が「勤労青年の労働意欲を削ぐ」という理由で一部有線放送で放送禁止になったり(ライブで「俺たちも立派な勤労青年だ」とやり返した)、ロック風にアレンジした「君が代」が国家を冒涜するということで「発売禁止」になるとか、とにかく、日本では稀有な存在です。
 
 80年の「ラプソディー」で「ロック」に転向する前に、清志郎は「立ちヴォーカル」になることに悩んでいました。やっぱりロックのヴォーカリストはパフォーマンスもやらねば。。。ということで、旧知の泉谷しげるに相談すると「じゃあディスコに行け!」とアドバイス?を受けたそうで、折りしも「ディスコ・ブーム」だった時代。清志郎はその「教え」を忠実を守ったということです(ホントかよ?)。

 本作は、RCとして通算6枚目のアルバム(ロックに転向してからは3枚目)。初期の作品としては前出のラプソディー(ライブ)や「プリーズ」の方に圧倒的な支持がありますが(私自身も好きです)、個人的には何故か思い入れのある作品です。
 本作は、ほとんど「一発録り」だったとのことで、清志郎自身が「レコーディング中、音が回って大変だった(笑)」と言っていたように、良く言えばライブ感覚、悪く言えば荒削り。確かに、いま26年前の作品ということを差し引いて聴いても、録音状態は決して褒められたものではないし、はっきりいって「もう少し整理しろよ」と言いたくなります。
 それでも、このアルバムが好きな理由は、単純に「曲の良さ」に尽きます。ラプソディーやプリーズにも、「雨上がりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」「いい事ばかりはありゃしない」などの名曲が収められていて、セールス面でも本作はこれらを凌ぐことはできませんでしたが、紆余曲折を経て、本当にRCが演りたかったものがこの作品で実現したような気がします。
 長い不遇の時代を経て、80年の「ロック・デビュー」以降ビッグ・ネームになった清志郎の中に、突然「ロック・スター」に祭り上げられた戸惑いと同時に、音楽業界という「大人の世界」への不信感は消えていなかったのだと思います。「Johnny Blue」「多摩蘭坂」「よそ者」などの名曲に、「ロッカー」清志郎の叫びと哀愁がただよう作品です。

土屋ひとし公式ウェブサイト