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現代田んぼ生活 辻井農園 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2018-01-16 大豆の出荷と断捨離の日々と徂徠豆腐

なんだか朝からちょっと暖かい感じ。日中は陽射しも出て、気温が上がってきましたね。次女が修学旅行北海道にスキーに行くので、朝、5時過ぎに学校へ送っていく。もともとはグアムへいくはずだったのですが、世界情勢の緊張があるということで、グアムから北海道でスキーということになったようです。次女はあまり滑れないのですが、北海道の雪質ならシュルシュル滑れて上手になってくるのではないかと思います。天気が気になりますが(笑)。


今日は大豆の出荷をする。30.6kgづつにしていく。それから今年は品質がよくないので、選別も少ししながらの出荷となりました。もちろんタネは残しました。ちょっと多めに。

午後は部屋の掃除と断捨離。教科書類、原田宗典なども断捨離することに。ええ、僕は自分の高校生の時に使った教科書やらあれやこれやと教科書や参考書をけっこう残していたのです。まあ私は教科書に書き込みというか落書きするタイプだったので、けっこうな量の教科書が本棚を埋めていたのですが、なかなか見直して勉強することもなくて(笑)、断捨離へ。もっとも国語の便覧と日本史の図表はそれぞれ一冊づつ残すことにしました。原田宗典は、今、どうしているんでしょうねぇ、うーむ。いっときすごくはまって、ほとんどの作品を読んだのですが。『優しくって少しばか』には、キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』が登場してきて、とてもいい気分で読んだので、この一冊だけは本棚に残しておくことにしたのでした。安岡章太郎の一連の本もどうしようかと思ったのですが、今日のところは思いとどまりました(笑)。


しかしなんだな、人間いつ死んでしまうのか、いつまで本が読めるのか、というのは、誰にもわからないのだが、再読する、三読する、というような本は、これからはとても少ないのだ、ということはわかってきました。僕が学者や研究者や教育者や作家なら身の回りに本を置いておくというのは、大切なことなのはわかりますが、それはとりもなおさず資料になったりするものですから。でもまあただ本を読むのが好きという状況だと、読んでは忘れて楽しむというより他にないのだな、ということをしみじみ寂しくつらくも感じつつ暮らしていくのだな、ということである。いつか読めるかな、と思って買った本もたくさんあるが、老後の楽しみというときの老後とはいつなのか、老眼鏡がなくては本が読めないという状況になると、定年のない肉体労働者としては、世界というか、世の中を見つめるやりかたを考え直さなくてはならないと思うことです。というか、もうこの歳なんだから、自分の頭で考えるままに、思い浮かぶままに、わがままに、あまり先人の本の中の知恵や知識にたよらずに暮らしてもいいのではないか、とも思ったりすることです。


段ボール箱につめた本、ブックオフに持っていこうかと思ったが、北の富士勝昭さんの解説で大相撲が始っていたので、また明日にでも。


夕方、ビールを飲み始めて冷蔵庫から豆腐をだして切ってみる。ええ、しかしこの豆腐が大きいんです。というか最近の豆腐一丁のパックは昔の半分しかないのですが、この豆腐は昔のサイズ。高さもあって正立方体です。かつお節と醤油の冷奴でいただきました。木綿とも絹とも書いてなかったですが、固めの木綿どうふですね。

この寒いのに冷奴なのかと怪しまれる御仁もおられることでしょうが(笑)、落語浪曲でも演じられる「徂徠豆腐」を思い出したからです。まあ今や荻生徂徠という学者の名前を知っている人も少なくなったとは思いますが、落語浪曲の世界では有名ですね。その徂徠がまだ世に出る前、勉強して貧しかったときに冬でもなにもかけない冷奴で過ごしたという噺です。ま、史実かどうかはわかりませんが。

ちょっと値の張る豆腐でしたが、たしかにおいしい豆腐でした。


ちょっと一龍斎貞心の講談「徂徠豆腐」で。しかしなんだな、最初から荻生徂徠と明かして噺をするのはどうなんだろうなぁ。まあ、いろいろな構成がありますからね。うーむ。志の輔や広沢菊春と比べると、いささか噺に隙がありますな(笑)。