WAN争議アップデート、あるいは、わたくしフェミニスト(自称主流)ですけれども?


今日の団交
退職勧奨のメール本文

昨日のWAN団交の報告およびWAN理事会からの退職勧奨メールが〈非営利団体における雇用を考える会(仮)〉のブログにあがっている。


くりかえし弁解をしておくと、わたくし労働問題にはお恥ずかしいことにまったく明るくないし、法律上、なにがどのように認められてどうなのか、あるいは労働契約がどのような形でどのようにむすばれるべきであり、それがどのような場合までどの程度に拘束力をもつのか、などの根本的なところをちっともわかっていない。さらに、今回の場合、ユニオンWAN側がウェブ公開という形で情報をだしてしまっているにもかかわらず(「しまっている」というのは、それが悪いという事を含意するものではなく、すでにそういう状態になっている、ということです。為念)、それにたいして理事会側はすくなくともWANサイト上では完全に沈黙をまもっており、したがって、理事会側の反論なり主張なりは間接的におしはかるしかない、という状況なので、一連の理事会側の対応に関して、わたくしのまったく知らない、あるいは想像がおよんでいない、なんらかの正当な主張なり判断根拠なりがあるという可能性は、もちろん、ある。


その上であえて、退職勧奨メールについて。


やはりこのタイミングで退職勧奨という「緊急の決定」をくだすというのは、法的な正当性はどうであれ、「労働争議がおきたので嫌になっちゃいました〜。もう人を雇うのはやめちゃえ。てへ」という印象をまぬがれず、争議解決にむけての労使間の信頼、さらにいえばWANというフェミニズム団体の政治的なあり方への信頼をそこないかねないという意味で、非常にまずいのではないかと思う。

さらに、これはわたくしがへたれ机上で財政観念がほぼ欠落していて経営なんてやってみたこともないからそういう甘っちょろいことを考えるのかもしれないけれども、「経営できると思いました>人を雇いました>あれ、経営難だわ>悪いけど、やめて下さいね>でも労働者としてではなく力は貸してね、一緒にやっていきましょうね>あ、もちろんこちらも責任とって責任者はやめますよ」というのは、それっていろいろなレベルで無理があるだろう、と。

そもそも、人を雇っておいて、あっさりと、経営難なので悪いけどやめてね、というのが法律的に通用するとしても(現行法でこれが通用するのかどうかわたくしにはよくわからない)、フェミニズム系で(あるいはWAN的な「女性」運動系で)それをあっさりと通用させてしまうのは、運動の首をしめることにならないだろうか。むしろWANが〈つなごう〉としている運動やフェミニズム社会学/法学/労働論などの観点からすれば、それが法的に通用してしまうとすればその法に異議をとなえることこそが、重要ではなかったのだろうか。

また、労働者としてはクビだけど「今後も引き続き力は貸してね」というのも、もちろんたんなる社交辞令なのかもしれないし、友好的姿勢をアピールしようとしてのものかもしれないけれども、そうだとしても、今回の場合に限ってはこれはむしろ逆効果ではないか。そもそもそういう「力だけは貸してね、でもお金は払えないけどね」という感覚にもとづいて安易に〈雇用関係〉をむすんだことが、そして雇用される側にとってはそれではこまるのだという基本的な事実を軽視したことが、今回の労働争議の発端のひとつであるようにわたくしには思えていて、そうだとすれば、この社交辞令なり友好アピールは、その役をはたすどころか、ユニオンWAN側がなにを問題にしているのか、雇用者側が事ここにいたっても理解していない(あるいは黙殺しつづけている)ことの証になってしまう。

さらにいえば、これは労働問題にまったく無知なわたくしでもさすがに気になるところだけれども、「責任とって理事長と副理事長は辞任するから許してね」というのは、退職勧奨された被雇用者側ではそこに生活がかかっているのにたいして、辞任する雇用者側はそもそも給与を受けとっていない以上(いないんですよね?いたらそれはそれでびっくりなのですけれども)、企業のトップが経営不振の責任をとって辞任する(=給与をもらわなくなる)よりもさらに意味のないジェスチャーではないだろうか。

というより、もしも責任者が名目上のお飾りではなく、本当に責任者として仕事をしてきたのであれば、本業にくわえて(無給で)やらなくてはならない仕事量はそれなりに増えていたはずで、これだけ大々的にはじめた組織である以上、それはそれでかなり大変だったのではないかと思う。だからこそ、率直にいって、「辞任」というのは「仕事は減る、給与は変わらない」ことにしかならず、それをもって「責任をとった」ということはできないのではないか。もちろん、本業との兼ねあいを含めた業務上の事情や、気力・体力の限界を含めた個人的な事情というのは、責任者側にもあるだろうし、いかなる事情にもかかわらず倒れるまでWANにコミットすべき、というような姿勢はわたくしはとても嫌いだけれども(へたれなので)、そのような事情での辞任であればそれはそれとして、今回の退職勧奨とバーターにするような書き方はすべきではないだろう。


以下、団交報告について、客観的ではない感想をいくつか(もちろん上に書いたものも客観的ではありませんけれどもね!へたれ個人ブログですから!)。


遠藤さんが〈追記〉で書いていらっしゃることでもあるけれども、「主流フェミニズム業界」という表記については、わたくしも好きではないし基本的には使いたくないと思っている(これについては以前「ジェンダー・フリー」をめぐる議論においても何度か言及したことがある。たとえばここ)。っていうかそもそも、わたくし、(心意気は)主流(のつもり)ですから!わたくしこそがフェミ!(いえ真っ赤な嘘です申し訳ありません)

ただ、それとは別に、遠藤さんのブログエントリでのコメントは、文脈から見ればあきらかにわたくしのブログエントリへの感想であり、そしてわたくしのブログエントリは、「フェミニズム全体への批判(あるいは誹謗中傷ですか?)」ではなく、「WAN/ジェンコロ共催イベントの批判」をめざしたものだった、と思っている。たしかに、いただいたコメント(ブクマコメを含む)のいくつかには「フェミニストだめじゃん」というものがあり、それについてはもっと明確に書くべきだったかと猛省しているけれども、それでも、きちんと読んでいただければ、少なくともあのエントリが「フェミニストとしての」批判だったという事はわかっていただけるのではないか、と思う、けれど、も・・・。

とにかく(強引)、そういう文脈でのコメントをつかまえて「フェミニズムの思想や運動を誹謗中傷するもの」と批判するのは、揚げ足とりか、ためにする批判か、それこそ「中傷」のように思われる。もちろん、WAN理事会側が「WANこそがフェミニズムであり、WANおよびその周辺での決定やイベントに対するおおやけの批判はすべてフェミニズムの思想・運動に対する誹謗中傷に他ならない」と思っていらっしゃるのであれば、話は別だけれども。まさかそれは。


あとは、個人的怨恨。みたいな。


団交の場で、WANの理事の方から、わたくしのブログでのWANイベント批判エントリにたいし、「客観的ではない」とのご批判をいただいたということだけれども、勿論わたくしのエントリが客観的であった試しなど一度もなく、その意味でそのご批判はまったくもって正しい。ただ、その上で、そのような主観的なエントリに「悪のり」したとして遠藤さんへも批判がむけられたということで、これはつまり、WAN理事会側が、わたくしがあのエントリで(主観的かつ不明瞭なかたちで)おこなった批判をお読みになったうえで、その批判は「客観的ではない」ので耳を傾ける必要はない(あるいは黙殺すべきである)との判断を公式に表明なさった、ということだと理解してもよいのだろうか。

ええと、わたくしの傷ついたエゴはまあこの際いったん横においておくとして、さらに「客観的って、なに(とりわけフェミニズムにおいて)?」というクルーシャルな問題もとりあえずおいておくとして、それでも、あのエントリで書いた問題点はわたくしだけが感じていたものでもなく、書き方が悪かったとしてもそれで問題が消滅するわけでもない。わたくしのブログエントリの書き方が悪かったということを理由に、問題それ自体を黙殺なさるとしたら、それは非常に残念なことだ。もっと「客観的」に同様の問題を指摘しているエントリもいくつもあるので、是非そちらを御参照いただいた上、批判それ自体から目をそむけることだけは、今後のWANのためにも、しないでいただければと願っている。