「受いれる」よりも前に出版された詩集です。
シンプルな詩集なので引用紹介をしませんが、
頭で体をコントロールできると思っていることへの警告がたくさん語られていました。
頭で求めることを体が求めていないときに、立ち止まれるか。
頭で求めることをやめてみよう、だいじょうぶ。
求めることをやめても、否が応にもなんかしら入ってくる。
求めることをやめたときに、はじめてわかることがある。
でもそれは、頭で求めることを続けているうちは、入ってこない。
頭も体も、ほうっておくと毒を好む。
求めないことのむずかしさを、しみじみと感じる。
「瞑想って、よくわからない」という人には、瞑想の本をすすめるよりも、この本をすすめたほうがわかりやすい。
「しがみつきたい」「しがみつく」「しがみついてでも」
「手に入れたい」「手に入れる」「なんとしてでも手に入れる」
この行為を「欲求」としてとらえたときに、そこにはグラデーションがあって
でもそれはゼロからはじまっているのではない。
「有」からはじまった後の濃さ薄さのはなし。
ゼロを、考えてみたことがあるかい?
この詩の中には
「程度の問題を行ったり来たりすることで疲弊するむなしさ」に対して
「あるがままで、いいんだよ」ではなく
「ゼロを考えてないでしょ」というツッコミがある。
「求めることを、ちょっとにしよう」でもいいのだけど、
ゼロに近づいてみようよ。という、攻めのスタンス。
そうすることで
それまでどこがマイナスで凹んでいたのかが見えてくるんだよ。
なにが入ってきたらうれしいのか、自分でも気づいていなかったことが
見えてくるんだよ。
そんな案内に聞こえました。
瞑想の効用が書かれている本です。