社会が先か、個人が先か、という問題は、鶏と卵の問題と同じ
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社会が先か、個人が先か、という問題は、鶏と卵の問題と同じことです。これを論理的な問題として扱うにせよ、歴史的な問題として扱うにせよ、反対の、同じく一面的な主張によって訂正されないで済むような主張をすることは出来ません。社会と個人とは不可分のものなのです。互いを必要とし、互いに補い合うもので、敵対するものではありません。
−−E・H・カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』岩波新書、1962年、41頁。
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古来より現代にいたるまでこのアポリア(「社会が先か、個人が先か」)という議論ほど無益なものはないにもかかわらず、どちらかの先天的優位を主張してやまない暴論の喧噪が、社会と個人の両方を圧殺しているのが現状でしょうか。
かつ、両者は不可分だとしても「敵対」するものでもなく、互いを必要とし、互いに補い合う「性質」であることを理解し、その両方の要素が、「固定化」した事物として捉えることをさけていかなければならない筈なのですが……。
ふぅ。
このところ疲れることが多くて・・・。