覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『空と風と星と詩』=尹東柱・著」、『毎日新聞』2012年12月02日(日)付。




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今週の本棚:荒川洋治・評 『空と風と星と詩』=尹東柱・著
 (岩波文庫・567円)

 ◇心の影をうつしだす清らかな名詩集

 <人生は生きがたいものだというのに/詩がこれほどもたやすく書けるのは/恥ずかしいことだ>

 これは自分を見つめる「たやすく書かれた詩」の一節。尹東柱(ユンドンジュ)のことばは、ことばを書きつけるすべての人の胸にひびく。

 尹東柱は、いくつかの美しい詩を残して、終戦(解放)の半年前、一九四五年二月、二十七歳の若さで獄死した。本書には全六十六編と原詩(ハングル)を掲載。日本での文庫は初。

 父祖移住地の中国・北間島(プッカンド)の生まれ。原籍地の朝鮮北部(現・北朝鮮)の中学、ソウルの延禧(ヨニ)専門学校をへて、立教大学同志社大学に留学。治安維持法違反の嫌疑で逮捕され、福岡刑務所で急死(生体実験、毒殺説も)。最期に何か話したが日本人の看守にはききとれなかった。

 日本統治下の朝鮮。日本語だけを用いることを強制された時期、尹東柱は、朝鮮のことばで詩を書き、渡日前『空と風と星と詩』(原稿)を三部つくる。没後の一九四八年、家族や友人の思いをのせて『空と風と星と詩』刊。以後韓国の国民的詩人となった。すでに伊吹郷、上野潤、竹久昌夫、茨木のり子らの詩集訳・作品訳があるが、在日詩人金時鐘の新訳は、尹東柱の詩をより多くの人に伝える画期的なもの。「序詩」は日本留学前、一九四一年の作。

 「死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥じ入ることもないことを、/葉あいにおきる風にさえ/私は思い煩った。/星を歌う心で/すべての絶え入るものをいとおしまねば」(部分)

 この翌年には、客地日本での孤独な下宿生活がうたわれる。前掲「たやすく書かれた詩」は「窓の外で夜の雨がささやき/六畳の部屋は よその国」で始まり「私は私に小さな手を差しだし/涙と慰めを込めて握る 最初の握手」で結ぶ。自分が自分と握手するしかない日々。だが尹東柱は冷静に、自分の世界と向き合った。心の影をうつすように、詩を書いた。その静けさが人をひきつける。

 明日、明日というが、起きたら、「明日ではなく今日であった」(「明日はない」)という影のあるユーモア。「弟の印象画」「このような日」の家族スケッチ、「市(いち)」の庶民風景。「皺ひとつないこの朝を/深く吸い込む、深くまた吸い込む」(「朝」)。まわりのもの、少し昔のことなどを配置しながら、順々に詩がめざめるという運びである。

 韓国の大型書店では詩集と小説集でそれぞれ「ベストテン」が掲示されることが多い。一九七六年以来ぼくは韓国の旅をつづけているがそのようすに変わりはない。尹東柱の詩集(絵本も含め、各社から何種類も)は現代の詩集をおさえ、つねに上位。抗日運動にいのちをかけた詩人たちへの畏敬の念もあり、詩の読者はとても多い。

 中国の科挙の影響かと思われるが、白日場(ペギルジャン)(みんなで集まって詩の競作)はいまもさかん。詩人になるには通常、推薦制度を通過しなくてはならない。いったん認定されるとそのあと詩を書かなくても詩人で通る例も。内部にエリート意識がめばえ、それが詩の歩みを止めるのだ。

 尹東柱は、そんな現代とは別の時節に生まれ、詩の原郷のような場所から、清らかな詩を届けた。「白骨に気(け)取られない/美しいまた別の故郷へ行こう」(「また別の故郷」)。

 尹東柱の詩は中国、北朝鮮、韓国、そして日本という、現在の四つの国と、深いかかわりをもった。どの国の人にも、たいせつな詩人である。(金時鐘編訳)
    −−「今週の本棚:荒川洋治・評 『空と風と星と詩』=尹東柱・著」、『毎日新聞』2012年12月02日(日)付。

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