覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『路上の義経』=篠田正浩・著」、『毎日新聞』2013年03月17日(日)付。




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今週の本棚:池内紀・評 『路上の義経』=篠田正浩・著
毎日新聞 2013年03月17日 東京朝刊

 ◇池内紀(おさむ)・評

 (幻戯書房・3045円)

 ◇伝統芸能の深層へ 往き迷う探究の魅力

 篠田正浩は二〇〇三年に映画監督を引退。以後、日本芸能史の考察に没頭してきた。四年前に最初の成果、『河原者ノススメ』を発表。学者の論考とはおよそ異質の視点と連想を通して、日本の伝統芸能の深層に骨太いテーゼを立て、泉鏡花文学賞を受賞した。

 『路上の義経』は続稿にあたる。風変わりなタイトルは、考察の終わりちかくに述べてある。「あれだけ盛名を誇っていても、源義経には定住する土地、家がなかった」

 牛若丸、そして義経。たいていの人が幼いころすでにこの名前となじんでいる。さっそうとした歴史上の人物だが、なんと奇妙なヒーローであることだろう。兄の頼朝は武士政権を打ち立てた事跡すべてが歴史にとどめられているが、弟については、さっぱりわからない。史料で確認できるのは、鎌倉方の総大将として木曽義仲を討伐した宇治川合戦から平家滅亡の壇ノ浦までのたった一年三カ月。その足跡は北は奥州平泉から西は下関までと、当時としては破天荒の広い地域に及んでいるが、見つかるのはおぼつかない伝承や風聞だけ。武人もまた歌詠みのかたちで内面を吐露した時代だというのに、義経作は一首だにつたわっていない。

 「源九郎義経は死後になってから誕生したといっても過言ではない」

 三十歳で非業の最期を遂げるのを待っていたかのように、伝説や物語があふれ出た。『平治物語』『平家物語』『義経記(ぎけいき)』などの軍記物、能、幸若舞(こうわかまい)、浄瑠璃、歌舞伎。歴史文書としてはまともに扱われない物語や芸能のなかにこそ、義経は脈々と生きている。しかも世にいう「判官(ほうがん)びいき」の後光につつまれ、庶民の人気でいうと兄は弟の足もとにも及ばない。

 全14章、最後に短い「切」がついている。牛若以前から書きおこし、誕生、『義経記』の作者、おなじみ武蔵坊弁慶、ついで超人的な大活躍。壇ノ浦まで行き着いたとたん、孤立と逃走が始まる。史実を追うためには手がかりとなる語り物や芝居に向かわねばならず、フィクションのなかで変容をとげた人物を、あらためて歴史文書から推察して実像に近づけなくてはならない。『船弁慶』『義経千本桜』『安宅(あたか)』『勧進帳』……。さながら狂言作者近松門左衛門が作劇の秘訣(ひけつ)とした「実(じつ)と虚(きょ)の皮膜(ひまく)の間」をたどるかのようだ。当の著者が述べている。「果てしない迷路」、「試行錯誤の連続」。

 だが、まさにそこにこの本の魅力がある。みずからで問いかけ、そのたびに問いがどのように事実とかかわるのか、困惑のなかで往(い)き迷う。タイトルは著者自身の姿でもあって、「路上の正浩」は往きくれて、天を仰ぐときもあった。とたんに映像の世界で生きてきた人の目と認識がはたらくだろう。『船弁慶』で弁慶が数珠(じゅず)をもみながら誦呪(じゅじゅ)して主人の危難を救うくだり、主役が交代する瞬間に義経が「高貴な少年神」に変身するのを言うことができる。おなじみ『勧進帳』の幕切れ、弁慶が飛び六方(ろっぽう)で花道をすっとんでいくのは私もよく見たが、そこに主君を守り抜いた高揚感は見て取っても、「待ち受ける悲劇の予感」は、ついぞ思ってもみなかった。

 篠田正浩は早稲田の学生時代に箱根駅伝に出て、「花の二区」を走った人だ。なんとたのしいことだろう。正月の箱根駅伝の絶大な人気の秘密が箱根権現に祈願した曽我兄弟や判官義経の剣「友切丸」、さらに天皇家万世一系を支えた「日本共同体の無意識の表出」にも結びつく。少年のようにみずみずしい感性と一途(いちず)なまでの探究心、さらに一つの大いなる立論の成熟していくのに立ち会うという、読者はめずらしい体験をする。
    −−「今週の本棚:池内紀・評 『路上の義経』=篠田正浩・著」、『毎日新聞』2013年03月17日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130317ddm015070013000c.html








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