覚え書:「詩の橋を渡って 心の姿、言葉の鏡で=和合亮一(詩人)」、『毎日新聞』2016年4月26日(火)付夕刊。

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詩の橋を渡って
心の姿、言葉の鏡で=和合亮一(詩人)

毎日新聞2016年4月26日 東京夕刊


4月
故郷でみんなで

うんめもの食って

とんでもね苦しさを

笑顔で語り合う最高の幸せ

 春という季節を迎えての熊本の震災の映像に心を痛める。発生からまだ間もないのに、大変な余震の数である。五年前の日々を思い起こしている。当時、抱えていた悲しみや怒り、めまいや片頭痛を思い出す。現地の方々はどれほど恐ろしく、不安なことであるだろう。倒壊した家屋や通りの様子、避難した人々にあふれている避難所などの風景を眺めてまざまざと想像している。

 東日本大震災の発生直後から、これまで好きだった本を読んだりする気が起きなくなってしまった。違うものを読みたいと思うようになり、少なからず今もそれが続いている実感がある、という話を、知人などから時折に聞く。五年前の日々から私も、読むものと書くものへのまなざしは変わった。言葉を失ってしまったあの日から今もなお、何を読むべきか、書くべきかを問いたいと考えつづけて、上手(うま)くまとめられずにいる。

 宮城県河北新報社では震災直後の冬から、コンクール形式で詩を募集して、新聞に掲載してきた。作品は多くの方の心を励ましてきた。多数の詩が今回も寄せられた。ずっと審査に関わって来た。切ない作品の数々の中に、五年という歳月を経て、静かに心が再生している息吹きが感じられるようなフレーズが、今年は少しずつあった。

 「故郷でみんなで/うんめもの食って/とんでもね苦しさを/笑顔で語り合う最高の幸せ」(日野修「うんめな」)。「山を崩し谷を埋め新たな風景が立ち上がる//牡鹿郡女川町竹浦」(鈴木とみ子「名前」)。「風の電話って/会いたい人と話ができるんだって/行ってみようか/妻がうれしそうに言う/そうだね/風の音を聞いて/鳥のさえずりを聞いて/お母さんと話してみようか」(大林幸一郎「電話」)(「想(おも)いを未来へ」より)

 応募の中には、震災を想って初めて書いてみたという詩がとても多い。書くことをきっかけにして、災いの記憶と向きあい、心の中で涙を流すことができたような気がします、というメッセージが、詩の隣に添えられていたことがある。「津波」という言葉を避けてきたが詩に書きました、形にすることが出来ました、感謝しています、というものも。言葉に表すことで初めて、自分の心の姿が鏡のようになって分かった、という発見が伝わってくる。

 また新しい情報が入った。亡くなった方の数が日に日に増えていく。あの時の悲しい状況と同じだ。届けられた詩集を開く。「こころの孔はひらいた/死者の瞳孔/いったん死者になった/わたしだけでない/わたしたちはみな死者になった/黙々とあるいた/あるいはえんえんとテレビをみた/ときどき はっとし/コンビニに入りパンをかう/あるいはお米をとぐ/死者のかけらになった」(関中子(せきなかこ)『三月の扉』思潮社より)

 詩という鏡に、見えるもの、宿るもの。そこに次の岸辺へと渡る心の橋が見えてくる。届いたばかりのもう一冊。「砂に書いた、しろい名まえはこなごなに/なり、気づかぬうちに/変化の途上の胸のふくらみを/聞こえてきたとおい喧騒(けんそう)のつづきへ」(手塚敦史『1981』ふらんす堂より)。あらためて詩集ばかり開いている。=「詩の橋を渡って」は毎月第4火曜に掲載します
    −−「詩の橋を渡って 心の姿、言葉の鏡で=和合亮一(詩人)」、『毎日新聞』2016年4月26日(火)付夕刊。

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詩の橋を渡って:心の姿、言葉の鏡で=和合亮一(詩人) - 毎日新聞





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