覚え書:「文豪の朗読 吉村昭「鰭紙」 本郷和人が聴く [文]本郷和人(歴史学者)」、『朝日新聞』2016年11月13日(日)付。

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文豪の朗読
吉村昭「鰭紙」 本郷和人が聴く
[文]本郷和人歴史学者)  [掲載]2016年11月13日

吉村昭(1927〜2006)。東京・三鷹の自宅で(1987年)
 
■生きることの重みを伝える

 タイトルの鰭紙(ひれがみ)とは、紙に貼る付箋(ふせん)のこと。吉村昭は原稿用紙10枚の短編を朗々と読む。その深い声は、短くも凄惨(せいさん)な話に、更なる奥行きを与えている。
 大学で経済史を研究する市原は、6万5千人もの餓死者を出した天明年間の南部藩大庄屋が書き残した見聞録に邂逅(かいこう)した。現地に赴き古文書をめくってみると、飢えに苦しむ惨状が克明に記されている。たとえば、大庄屋の長男は、川岸に流れ着いた子供の死骸をむさぼる女を見た。気配を察知した娘は顔を覆って逃げたが、彼女は付近のふくという16歳の娘だった。
 鰭紙がこの箇所に貼られていて、後の筆が加えられていた。「このふくなる女は」その後、油商・沢木屋に嫁し、子をもうけ、安穏に暮らしている、とある。市原ははっとした。市原が泊まっている旅館の名も沢木屋である。史料を紹介してくれた郷土史家に尋ねると、果たして、旅館は油商の後身であった……。
 人口学の成果によると、江戸時代の前の中世は戦乱と飢餓と疫病の時代で、100年ごとに60万人ずつしか人口が増えなかった。ところが平和になり、飢餓と疫病もとりあえずは収まった江戸時代になっての100年で、人口はいっぺんに1300万人も増加した。これを見ると江戸時代というのは、とても「まとも」な時代なのだと私は説いてきた。それは数字からすると、正しい解釈と言わざるを得ない。だがその時代にも、東北地方の農民は、実はたびたび塗炭の苦しみを嘗(な)めてきた。
 鰭紙という呼称は、近世の農村文書を扱う人でないと用いない。中世の貴族や武家の史料を読んできた私は、不覚にもこの言葉を知らなかった。地道な調査をしなければ、分からぬ言葉がある。人間の生活がある。吉村という作家は、そうした物語を丹念に調べ、緻密(ちみつ)に書く人であった。彼の朗読は、ともすると現場を忘れがちな「知識の人」に、生きることの重みを突きつけてくる。
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今回は、日本近代文学館の「第8回 声のライブラリー」(97年2月8日、石橋財団助成)の音声を元にしています。朗読映像は同館で閲覧可能です。

■聴いてみる「朝デジ 文豪の朗読」
 朝日新聞デジタルでは、本欄で取り上げた文豪が朗読する肉声の一部を編集して、ゆかりの画像と共に紹介しています。通常は「月刊朝日ソノラマ」誌の音源を使っていますが、今回は日本近代文学館が所蔵・公開している音声を使用しました。朝日新聞デジタルの特集ページは次の通りです。
 http://www.asahi.com/culture/art/bungo-roudoku/
    −−「文豪の朗読 吉村昭「鰭紙」 本郷和人が聴く [文]本郷和人歴史学者)」、『朝日新聞』2016年11月13日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/column/2016111700001.html


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