日記:「実践知」としての良心学


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「実践知」としての良心学
 さらに、良心が個人の営みを超えて、よりよい社会の形成に寄与するためには、社会の現実を見据えた良心の実践が欠かせない。良心学は「実践知」としても機能すべきなのである。人と人が出会い、「共に知る」ことによって、眠っていたかのような良心が喚起されることがある。先述した新島の場合、アメリカにおいて良心に触れる原体験があり、その新島と彼の影響を受けた弟子たちの間に新たな良心が生起したのである。そして、彼の弟子の多くが社会の中でもっとも困窮した人々の救済に向かっていった。
 貧しい者と富める者との格差は、今なお拡大し続けている。科学技術の華々しい発展は、幸福の最大化(既得権益の拡大)へと向けられがちであるが、弱者の側に立って、不幸を最小化するための知恵と実践につなげることが必要なのではないか。良心の「共に知る」力を、現代の諸問題を意識して言い換えるなら、「対立する価値を調停する能力」となるだろう。個人の次元でも、社会の次元でも、異なる考えや立場の前で我々は葛藤・逡巡する。しかし、問題を直ちに善悪や敵・味方、有益・無益のカテゴリーに転化させるのではなく、忍耐強く「共に知る」作業を続けることが、新たな社会形成につながっていくことを良心学は示していく。
    −−小原克博「総説 良心学とは何か」、同志社大学良心学研究センター編『良心学入門』岩波書店、2018年、7−8頁。

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同志社大学 良心学研究センター




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