My Life Between Silicon Valley and Japan このページをアンテナに追加 RSSフィード

2005-06-22

[] 「知の創出」のコモディティ化への戸惑い

コメントトラックバックを拝見しつつ、難しいことを書き始めてしまったなと思う。今日は

「「これからの10年飲み会」で話したこと、考えたこと」

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050618/p1

「「勉強能力」と「村の中での対人能力」」

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050620/p1

の続きだ。結論があって書き始めているのではなくて、書くことで考えてみようという試みだ。元「勉強好きな少年」の一人として、今起きている大きな流れについて、僕自身も実は戸惑っているのである。

世の中は日に日に複雑化し、「勉強能力」「学習能力」が仕事上ますます大切になっているのは事実である。ただその一方で、それだけで飯が食える場(チャンス)が確実に減っている気がしている。インターネットのおかげで。あるいはインターネットのせいで。

それで一つの仮説として、「飯を食うための仕事」と「人生を豊かにする趣味」はきっちり分けて考え、「勉強好き」な部分というのは「音楽好き」「野球好き」「将棋好き」と同じ意味で後者に位置づけて生きるものなのだ、と考えるってのはアリなのかもしれないなと思い始めているのである。文学哲学が好きで文学部に進んだ人なんかの場合は、「最初から就職先あんまりないぞ」みたいな覚悟があって、ほんの一握りの才能を持った人以外は、「勉強好き」(自分が楽しめると思える領域の勉強)の部分を仕事で活かせるなんて、はなから諦めていた。そしてその部分を「人生を豊かにする趣味」と位置づけて生きるのは、これまでも当たり前の流れだったのだろうと思う。その感じが、文系世界では経済学部法学部のほうまで、そしてさらに理系にまで、どんどん侵食してくるイメージ。そう言ったらわかりやすいだろうか。同意できる仮説かどうかは別として。

では「飯を食うための仕事」という部分では純粋に何が大切なの? という話になるとやはり「対人能力」なんだろうな。そこをきちんと意識しておかないと、つぶしが利かないんじゃないかなぁ。そんなことが言いたかったのである。ここでいう「対人能力」は前エントリーで述べた「村の中での対人能力」ではない。組織の外に向かって開かれた「対人能力」のことだ。

トラックバックいただいたRingo's Weblogの「ハッカーという言葉の意味

http://www.ce-lab.net/ringo/archives/2005/06/21/index.html#000046

で、Ringo氏はこう語る。

ソフトウェアを使って行動するのは人間なので、人間の動きをよく知っていることが、ソフトウェア開発者の必須条件なのだ。だから、良いソフトウェアを書く人は、人間の扱いに長けていなければならない。

ハッカーの定義を狭くすることで、現在日本にいる「ハッカー」の多くはハッカーではなくなる。プログラミングが大得意だからといって、対人コミュニケーションや人間観察をおろそかにしているプログラマは、コンピューターの達人であって、コンピューターと人間の達人、つまりハッカーではないからだ。

だから、ハッカーになるためにきわめて大切なことは、日ごろから、歴史経済政治芸術(文学音楽、、、)、恋愛、などについて興味をもって勉強をし続け、人間の理解を深めることなのだ。

今後、ハッカーを雇いたいソフト開発会社の経営者は、面接のときに「コミュニケーション力」を見るのではなく、「人間に対する興味」を見るようにすればいいのではないかと思う。

ひょっとすると誤読かもしれないけれど、ここで経営者でもあるRingo氏が書かれているこの「ハッカーの条件」とは「飯を食うことができるハッカーの条件」なのではないかなと思った。

逆にいえば、そうでないハッカー、つまり「対人コミュニケーションや人間観察をおろそかにしているプログラマ」が開発できるソフトウェアは、だいたい皆、遅かれ早かれ、今は200万人とも言われているオープンソースプログラマーたち(米国以外に住む25歳以下の学生がかなり多く、これからも世界中でその層がどんどん増えていく)によって、無償提供される世界になるのではないか。

「対人能力は陳腐化しないよね」と僕は「これからの10年飲み会」の冒頭で話したが、そのときにイメージした「対人能力」のベースっていうのは、Ringo氏の言葉である「人間に対する興味」と全く同義だ。それさえあれば「対人能力」は場数を踏んでいくと、どんどん磨かれていく。

10年経とうが20年経とうが、人間が生きて暮らしていくこの社会において絶対不変の価値である「対人能力」「営業能力」を身につけた人(Toplineを稼げる人)が、「チープ革命」や溢れかえる情報やITツールの恩恵を受けて(Toplineを稼ぐために必要なコストは年々下がっていく-->Bottomlineは改善されていく)サバイバルする時代に入る。

と前々エントリーで書いたが、この能力を身につけておけば、かなりつぶしが利く。

むろん「そんなものは要らんのだ、頭さえよければ」と思って「勉強好き」少年人生を見つめるのは自由だが、それで「飯が食える」可能性は、野球将棋音楽のプロとして飯を食っていける可能性とまではいかないまでも、けっこう厳しくなるんだろうな、これから。そんなことを最近すごく思うわけだ。

今のグーグル技術陣ってのは、「対人能力なんてものは要らんのだ、頭さえよければ」というタイプハッカーにとっての「最後の楽園」という感じがする。だから世界中から入社希望者の列ができているのではないか。グーグルが「狭き門」化していて、グーグルに入れなかったハッカーたちが「グーグルしか行きたいところないんだよなぁ」と言っている姿を見ると、これは何かを象徴しているのかもしれないなぁ、なんて思ったりする。

(このグーグルについてのパラグラフid:kazamaさんからのトラックバックの指摘が正しい。ご指摘の通りこの文脈ではやや唐突である。グーグルの採用思想に知能偏重がかなり強いのでふっとここで書いてしまった。ご指摘内容について考えた上でいずれ改めて稿を起こしたい)

「知の創出」という言葉が適切かどうかわからないが、知を創出しても、それをデジタルコンテンツとして定着させたとたんに一気にコモディティ化していく。ならばデジタル化せずに隠しておけばいいか、といえば、大きな流れとしてそういう考え方は淘汰されていくだろう。よって「何か知を創出してそれをコンテンツにまとめてそこで終わり」というタイプ仕事の価値は下落する。「発明とか特許とか世界初の「知の創出」に関わるような仕事はこれからもっと大切になっていく」というのは真実だが、そういうことができる人以外は皆ダメよ、というのは厳しいよなぁ。少なくとも今はもっと「知の創出」をめぐる世界はのんびりしている。多くの人にとって、「知を創出」したら、それを「対人能力」をもって自ら味付けしてカネに変えなければ「飯が食えない」時代が到来する。本当にそうかなぁと自問し、また戸惑いながらも、今、そんなことを考えているわけである。

tanakayoshikazutanakayoshikazu 2005/06/22 18:03 何をいまさら感のある発言かもしれませんが、読んでいて、どちらかといえば「価値とは希少性なので、デジタル革命においては、コピーされる可能性のあるものの価値は、希少性が薄れるので、コピーされない価値が、価値として残る」見たいな話が根底にあるのかなと思いました。

と同時に、この話の文脈とは違いますが、コミュニケーション能力さえも(カリスマとかは別にして)、各人がコンポーネント化されていくという流れでは、兌換可能になり、価値が低減していくのではないでしょうか?

なので、もっと上位概念の「実現力」とか「流れを読む力」とか「構築力」とか「対応力」とか(この辺曖昧ですが)デジタル化できそうにもなく、コンポーネント化もできなそうな、そういうものが、重要な気がします。
#だとすると、じゃどうしたらいいのかと思うと、そこからまた迷路が。。。

shiroshiro 2005/06/24 00:00 一連のエントリで、野球、将棋、音楽、勉強が並んでいるのに違和感を覚えていました。本来の意味では、野球が上手くなるのも、将棋に強くなるのも、演奏の表現力を増すのも勉強のはず。ではここで梅田さんが言う限定された『勉強』とは何を指しているのでしょう。

「勉強好きな少年」というフレーズからは学校での学科の勉強を連想します。しかし例えば「物理が好き」「古文が好き」「歴史が好き」という子供がそれで喰って行こうとすれば、その道はアカデミアの世界であり(野球等程ではないかもしれませんが)狭いものであるはずです。そういう特定の分野ではなく、『勉強』が好きだった子供は、本当は何が好きだったのでしょう。

『勉強』が好きな子供が長じて社会人になり、『勉強』のようなことをして喰っていけた、とのことですが、ここで両者の『勉強』の内容は連続してはいないですよね。古文が好きだった子供が普通の会社に言って古文をやっていたわけではない。この『勉強』は、例えば与えられたテーマについて情報を収集し、分析してレポートを書く、とか、関連分野の流れをサーベイして新しいアイディアを出す、とか、そういうスキルを指しているのでしょう。あるいは、内容がなんであれそれを(学校の学科で教えられたように)勉強する過程が好きだ、ということかもしれません。確かにそういうスキルはそれだけでは飯が喰えなくなりつつあるのでしょう。指を速く動かすスキルだけではピアニストになれないのと同様に。

そのような特定のスキルを限定無しに「勉強」と言ってそれでなんだか通じてしまうとすれば、教育を通じて、その特定のスキルこそが「勉強」なのだ、と思い込まされてしまった、あるいはゴールへとアプローチする過程そのものが目的化してしまっていた、ということなんじゃないかと思います。

それで良かったのは、大きな組織が何か一つの方向に動いていて、『勉強』することが組織としてのゴールへのアプローチを後押しすることであったからなのでしょう。それなら過程を目的化していても、ゴールに近付くことはできます。その前提が崩れてくれば、手段は手段として、自らゴールへとアプローチする姿勢を求められるのは当然のこととも言えます。その意味では対人能力も営業能力も手段にすぎないでしょうね。

何か、感じた違和感を言葉にしようとしたら使い古された言葉しか出てこなかった感がありますが、元「勉強好きな少年」の一人として私が感じているのはこんなところです。長文失礼。

morichumorichu 2005/06/24 03:45 あー、そうそう。僕も「勉強」というのが何を指しているのかよくわからなくて、違和感を感じていました。いわゆる学校でする「勉強」のことをイメージしていたため、先のエントリーで、「勉強さえしていれば良かった時代っていつのことよ?」という疑問を持ったわけです。

それと、仕事で「対人能力」が重要とあるのも、「当たり前じゃん!」という感覚なので、何か変な感じがしたわけです(当方、人相手のお仕事のため)。

もっとも、その「対人能力」が社内向けだけでは、これからはダメというのはよくわかりますが。

ちなみにグーグルのすごい点は、「対人能力なんてものは要らんのだ、頭さえよければ」という人をうまく会社の中で機能させているからではないでしょうか。そういった人たちとうまくコミュニケーションする方法、つまり、そういった人たちとうまくコミュニケーションする「対人能力」に優れた人が影にいるんじゃないかなーと思っています。

HickeyHickey 2005/06/27 16:12 引用されているRingo氏の「ハッカーの条件」は、情報欲としての脳の入力作業工程であり、それと対比して「対人能力」は出力工程なのだと思われます。
一般職業的にはこの入出力のバランスが整った場合「飯を食うことができる(職業名)の条件」と成るのではないでしょうか。
『ハッカーと画家』という本においても、その知識欲を制御するために「タブー」との付き合い方も明記されています。

個人的には「勉強」という語彙は好きになれませんが。。。

hamastahamasta 2005/06/28 10:09 ここでの主題とは逸れるのでしょうが、つぶやきとして。。
僕のこれまでの経験では、コミュニケーション能力を強調する人は総じて開発能力に難ありでした。
#もちろん逆もあります
学問がどのように社会において、製品において具体的な付加価値に転化するのかを
実際の業務上の経験から知ることができない人というのが
世の中の大多数だと思いますので
交渉だとか営業だとか対人能力だとか、そちらのほうに
話が流れていってしまうのも仕方ないのかなと。

ソフトもハードも、付加価値を生み出す一つの手段であって、目的では無いですよね。

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