南京そば、支那そば、中華そば、ラーメン・その7、”昔ながらの中華そば”

 私が前にいた長野市に、「支那ソバ」を名乗るラーメン屋が、少なくともニ軒あった。少なくてもというのは、まだあるかしれないが私が知る限りということである。今いる松本市でも見つけた。

 ニ軒の店に、なぜ今どき支那ソバなどといっているのか聞いてみたことがある。一軒は戦前の昔からそういっているので、そのまま使っている。もう一軒は、そう前からやっている店ではなさそうだが、なんとなくかっこいい目立つからそう付けたと、どうもよくわからない返事。

 市内でもさすが支那ソバを名乗る店は希だが、中華ソバ屋はまだかなりある。ご存じだと思うが、ラーメンのことを戦前(第2次大戦前)は、支那ソバと呼んでいた。中国のことは支那と呼んだ。戦前の地図を見れば支那と載っている。

 それが、戦後、中華ソバと変わった。もし仮に、日本が戦争に負けなければ、あるいは呼び方はそのままだったかもしれない。というわけで、巷は大方はもちろんラーメン屋だが、まだまだ中華ソバ屋もがんばっている。

 あえてラーメンといわず中華ソバといい続ける。そんな中華ソバ屋のラーメンを食べて見て、それは、”うちは昔ながらの中華ソバ、今様のラーメンとは違うんだよ”と主張しているようでもある。サッポロラーメンをはじめ、さまざまなラーメンに枝分かれしていく前の南京ソバ、支那ソバ、中華ソバと引き継がれたラーメンの原形モデルともいうべき横浜・東京ラーメンの伝統を守っているというのだろう

「昔ながらの中華ソバ」とはまた、まるちゃんマークでおなじみ某食品メーカーの生メンタイプの市販商品。メーカーはわからないが、ズバリ「支那ソバ」とネーミングされたものも見たこともある。これらが全国的に売っているものなのか知らないが、けっこう売り場からなくならないの、昔ながらの郷愁の味を懐かしむ人々も案外少なくないことも想像される。写真はまるちゃんの”昔ながらの中華そば”