年収の何パーセントかの図書カード。


 職場の親会社にあたるところから封書が来た。封を破ると寄付金のお礼状とお礼の図書カードが入っていた。寄付は一応任意ということになっているがそれは建前で、親会社からの通知にはその寄付金の最低金額まで指定されていた(年収の何パーセントというカタチ)。何せ相手はこちらの年収を抑えている大元なのだから逃げようがない。そのためこの夏の賞与から自動的に引き落とされてその残りが口座に振り込まれたという感じ。気分は実質減俸である。結構な金額の代わりに1000円の図書カードではちょっと割りが合わないが、まあ本が買えるということで少し気持ちを穏やかにしよう。


 寄付といえは先日、内澤旬子さんが行なっている小豆島に獣肉処理加工場の建設をするためのクラウドファンディングに小額ながら参加した。内澤さんの書いた「漂うままに島に着き」(朝日新聞出版)という小豆島移住記を楽しく読み、内澤さんが出演したTBSラジオ荻上チキ・Session-22」で獣肉処理加工場の必要とクラウドファンディングのお願いを聞いた者としては微力ながら協力したいと思った次第。こちらは自分の意志で行ったものだから(金額の違いはあるが)心晴れやかである。



漂うままに島に着き




 今日は午後から屋内仕事。朝ゆっくりできるのがうれしい。前も作ったフレッシュトマトソースと短冊に切ったバタートーストでブランチ。小雨そぼ降る中を職場へ。机の上には先日レターボックスに入っていた封筒が置いてある。4月に続いて5月の時間外労働も80時間もしくは100時間を超えた(書類に具体的な超過時間は書かれていない)ことによる産業医との面接勧告である。今日のような日曜出勤はカウントしていないのにやはり超えてしまうんだな。普通に与えられた仕事をしていると越えてしまうというのはどこか間違っているような気がするが、それを言い出したら「お前の処理能力が低いのだ」と返されるのがわかっている(自分の能力が高くないことは重々わかっている)からとりあえず自分は自分の仕事をしようと思ってやっている。


 屋内仕事は5時前に終わり、スタッフが帰った後、明日までに終わらせておくべき机仕事にかかる。誰もいない職場の部屋でひとりイヤフォンで音楽を聴きながら仕事をしているとなんと楽しいことか。普段、大勢の人間に囲まれ、大勢の人間と関わることが自分の仕事であることを考えるといつもしみじみ自分には向かない仕事をしているなあと感じてしまう。気がつくと7時を過ぎて窓の外には今日も夕焼けが神々しいくらいに赤く光輝いていた。


 本屋に寄って中公文庫の新刊から1冊。


わが人生処方 (中公文庫) [ 吉田健一(英文学) ]


 吉田健一没後40年記念の文庫オリジナルのエッセイ集第3弾である。中を開いて旧仮名遣いで組まれているのに驚いた。丸谷才一亡き後、近頃では珍しいことだ。それも気に入って購入。使ってはいないが年収の何パーセントの図書カードでお釣りがくる値段で買えた。




 帰宅して、昨日買った本を手に取る。



町を歩いて本のなかへ [ 南陀楼綾繁 ]


 あちらこちらでこの本が出ることは知っていたが、地元の本屋に入るか心配だった。しかし、ありました。個性的なカバーデザインは棚の中で埋もれることなく、数秒で見つけることができた。書評・エッセイ・ルポなど本や本屋に関わる様々な文章(写真もある)を集めたバラエティブック。原書房では最近、岡崎武志さんの「気がついたらいつも本ばかり読んでいた」というバラエティブックを出しているから、晶文社の衣鉢を継いでこの路線を続けてもらいたいものだと思う。僕がこの日記を書き始めるキッカケとなったのは、その当時の『sumus』同人の方達の活動に影響を受けたことが大きい。その中で南陀楼さんは『モクローくん通信』を通して僕を書肆アクセスへと導き、一箱古本市や“BOOKMANの会”などを通して多くの本好きの方達との交流の機会を設けてくれた人である。この本のなかへ入ってあの頃歩いた町を再訪したい。