★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.144

師走です。
夏らしくなかった夏。あっという間の秋。早々に訪れてきた冬。
自然界の変化を特に感じる一年でした。

さて、盛り上がりに欠ける選挙です。
安部政権の暴走を止めないと、将来に禍根を残すことになりそう…。
経済(金)の目眩まし作戦には気をつけねば…。

来年はどの様な一年になるのでしょうか。
では《Ryuの目・Ⅱ−no.144》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は菅井研治さんです。

ー新しいクルマ生活ー

世話のやけるクルマに乗り始めた。
毎晩、クルマに電気のプラグを差し込む、そんな生活が我が家で始まってから約一ヶ月がすぎるころだ。
長く乗った古いプリウスを新しいプラグインプリウスに乗り換えた。
そしてこの12月、トヨタ自動車が、さらに来年以降ホンダや日産も水素を燃料にするFCVというクルマの量産を開始して一般に販売をするとニュースは報じた。

約15年前、ハイブリッドのクルマが登場したあのころ、それまで大変な苦労をしていた自動車の燃費改善競争はひとつの方向性を得ることになった。
ハイブリッドというシステムはそれまで1リットルのガソリンで10キロから15キロしか走ることが出来なかった燃費をおよそ2倍にまで向上させたのだ。

そして新しいプラグインハイブリッドやEV(電気自動車)そして量産の始まるFCV(燃料電池自動車)たちは、燃費効率の良さだけではなく走行によるCO2の排出が極めて少ない、いやゼロと言って良いクルマだ。
実用的で納得のいく水素社会となりFCVが普及するにはまだ時間がかかるが、そのひとつ前のステップとして我が家にやってきたハイブリッドカーとEVのハイブリッドであるプラグインハイブリッドカーは往復20キロの毎日の通勤をすべて電気でまかない、ひと月に幾度かの郊外のモールへの買い物などに出かける時ほんの少しのガソリンを使うだけという実に清々しい(大いなる自己満足?)クルマ生活を我が家にもたらした。

そして今想う。
我が家の次のクルマは水素で走る トヨタの"MIRAI"のようなFCVになっているだろうか。
いや、そのようにできるまではこのプラグインハイブリッドを楽しむことにしよう。

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◆今月の隆眼−古磯隆生
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−初個展・顛末記1−

11月10日から16日まで、生まれ故郷の山口県宇部市で“初めての個展”を開きました。題して「古磯隆生・パステル画展」。
数年前から友人の勧めもあり、やっと実現しました。その7日間というものは、日々感動し、故郷の暖かさが身に浸みる時間帯でした。ではその顛末を…。

10月始め、行動展の搬出を無事終え、気分は11月の初個展に向かって徐々に高揚。行動展での評価もまずまずで、その余韻を残していざ個展に。何しろ初めてのことですので必要な準備の全容が見えず、まあ何とかなるやろと比較的のんびり構えていました。が、10月半ばを過ぎたあたりから、いろいろやるべき事が結構細々とあることに気付き始めました。画廊主催の個展の場合は、事務的なことを含め全て画廊側で準備してくれるようですから、展示作品のことを考えていればいいのですが、自主開催の個展は全て自分で準備しなければなりません。準備項目リストがある訳ではないので、自分の個展をイメージしながら行き当たりばったりの手探りです。案内葉書に始まって、ポスターの制作、画材屋さんへの額縁の選定と台紙の指示、このくらいは普通に思い浮かびます。更に、挨拶パネルやプロフィールパネルの準備、新聞社用の参考資料からプロフィールや写真の準備、市販の芳名録が気に入らないのでその書式作成・印刷、更に作品の表題カードの作成、作品を販売するに当たってのチェックリストの作成、代金振込先カードの作成、名詞の作成、そして、友人から提案された絵葉書(12種類)の作成、等々。パソコンと性能のいいプリンターが無ければとても出来そうにない作業でした。これらを出発前迄にやっとの思いでほぼ終えましたが、予定していた数点の作品制作は途中のままで完成せず。
今回は始めての個展で、しかも生まれ故郷と言うこともあり、高校時代のデッサンから今日に至るまでの作品約50点を展示することを意図しました。尤も、多くの作品はこの1,2年のものです。期待と不安がよぎる中、いざ山口へ…。

前々日(8日)の早朝4時半、130号の作品(今年の行動展入選作、二枚折)、50号、その他小作品と工具類を携えて我が家の車で山梨を出発。妻と末娘の三人で山口に向かいます。予定所要時間は13時間。中央自動車道−東名自動車道−名神高速道−中国自動車道−山陽自動車道−山口宇部道路のルートで宇部に入ります。一時間半から二時間で運転を交代しながら高速道を順調に進みました。我が人生での初事業に向かって“進んでる”という感じで、何かとても新鮮な感覚が支配していました。到着時間の見通しがやっと立ったあたりの広島・宮島SAでゆっくり休みました。ここのスターバックスの建物はシンプルで素敵な建築でした。私好みです。ゆっくりコーヒーを味わい、さあ、宇部まであと一息。
山口宇部道路の嘉川ICでコースを間違え、逆戻りのハプニングがあったものの、ほぼ予定時刻に宇部に入りました。まずは一息、ホッ!既に前日(7日)の地元紙(宇部日報)で初個展のことが、素敵な解説付きで丁寧に紹介されており(添付写真)、それを読んで気分も盛り上がります。いよいよだ!
多少高揚した気分の中で、さてこの日の夜から連続宴会(9日間ぶっちぎり!)の始まり、始まりです。まずはふぐ料理で舌鼓。

明くる日(9日)の朝、車で30分程の今回の会場となる「ギャルリー小川」に向かいます。手伝ってくれる同期の友人達や先輩も既に会場にスタンバイ。画材やさんで額装した小作品等を含め、大きな作品も10時から搬入開始。搬入等は順調に行ったのですが、作品は大が130号から小が3号と大小様々です。レイアウトの大まかな案は考えていたのですが、会場でいざ具体的にどの作品をどこに置こうかと考え出すとこれはなかなか悩ましい作業。何しろ初めての経験なので要領よく行きません。この間、展示空間との無言の応答を繰り返し、とにかく、まずは100号以上の作品8点のレイアウトを先行させることにしました。大作をあっちにやったり、こっちに持ってきたり、友人達はペアを組んで只々黙々と作業してくれます(写真貼付)。

このレイアウトが何とか決まると壁面に取り付けてくれました。ここまでの作業が一区切りついたところで、友人達には引き揚げてもらいました。大作品が落ち着くと、安心して小作品のレイアウトに取り掛かかれます。小作品の取り付けは先輩と二人で、ああだこうだ言いながら進めていきました。小作品は青と黒の色主体の絵が多いので、まずはテーマ毎にグループし、その大体の場所を決め、その間に違った色彩の絵をアクセントに嵌めることにしました。この間、女性陣はお茶出しの準備から受付の準備までを整えてくれました。終了したのは午後の4時過ぎ。その間、会期中に観に来れない方々が早々に見え、否応なく雰囲気が盛り上がってきました。ついに“始まった!”という実感。全ての準備が終わり、夕方、宿泊先の友人のゲストハウスに戻り、一休みして夜の部…高校美術部先輩達による歓迎会へ。総勢10名、久々の面々。すぐに打ち解け、場は盛り上がりました。来年は山梨で集まろうという提案も採択!、楽しみが増えました。この日もふぐ料理で舌鼓。宴会の終盤には“TAKAO グッバイ 67”のサプライズケーキが持ち込まれました。実は10日は私の誕生日で、個展のオープンを誕生日に合わせて設定していました。楽しい夜でした。


◆今月の山中事情104回−榎本久・宇ぜん亭主

ー在りしひとー

広い畑には、数種類の菜が生い繁っている。その人が居なくなって大分すぎた。ところどころにいろいろの花の塊が咲き乱れていた。菜はその畝が小さな森のごとく細長く続いている。主を失ったそれらは、もう手をかけられることもなく、己のおもむくままに伸びているのだ。Fさんという女の主が一人で、時に耕運機を動かし、土を起こし畑を管理していた。年中丹精込めて作っているのをよく見かけていた。ところがある日帰らね人となってしまった。残された老婆は不自由な足を引きずりながら、その畑の端に佇んでいる。なんともやりきれない光景である。娘が愛でていたそれらの菜が気になっても何一つ出来ない己が身を嘆いているのか。人生の残酷さを、またここでも見せつけられた。ここに来て三年、他者のことなど何も知らぬ中で、ようやく少しずつ知りかけて来た頃の出来ごとだった。数度しか話すことは出来なかった。遠目に見たいたその姿を、その日を境に見ることが出来なくなったことに、私なりにも淋しさはある。
日々は何ごともなかったごとく過ぎ、畑に隣接する遮断機の警報が鳴り、蒸気機関車が通りすぎ、乗客が窓ごしに手を振っている。
日常の光景はこうしてあっさりと繰り返された。そう言えばFさんの孫は蒸気機関車が好きでよく一緒に手を振っていた。雨戸の閉まった彼女の家は、今後どうなるのかは知らない。
菜はいよいよ伸び収穫もされずにいたが、ある日子供の歓声が聞こえた。息子さん家族が来て、大根を抜いていた。ネギも抜いている。さつま芋を掘っている。菊の花だろうか、束にしてもっている。Fさんにたむけるのだろう。老婆も畑に出て来て椅子に座っている。
Fさんが育てたそれらの野菜は、息子夫妻、孫らの手で、しっかり収穫され、無駄にはならず、彼等の糧となった。願わくばその畑に来年もみどりの畝が出現することを思うのだが果たして…。
翻って思うのは、予告のない、人生の終了は、恐ろしいこととの競争をしているかのようで、おびえ、おののくばかりだ。世には悟りを得る人もいるのだが、未熟者の私は、この悩ましい現実を直視出来ないでいる。
日々を永らえて、楽しく過ごすことが大切だとか何とか言って実はそのことからめをそらし、逃げ回っているようだ。