著作権保護期間の延長をめぐる議論


 以下、まずこの記事から引用する。

 著作権保護期間の延長を巡る本格的な議論が開始、文化審議会小委


 文化庁文化審議会著作権分科会は3日、「過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会」の第7回会合を開催した。これまでの会合では、関係者ヒアリングや論点の整理、過去の著作物の利用を円滑化するための方策などについて議論が行なわれてきたが、今回の会合でいよいよ保護期間の延長をテーマにした議論が開始された。


● 欧米では「寿命の伸び」「貿易収支」などが延長の理由に


 会合ではまず、現行では「著作者の死後50年」とされている著作物の保護期間を、「死後70年」に延長すべきかという問題について、事務局から主な議論のポイントについて説明が行なわれた。検討の視点としては、パブリックドメインにすることと20年間保護期間を延長することでは、どちらが情報の豊富化を招いて文化の発展に役立つかといった点や、ビジネスへの影響、創作者の創作意図への配慮、各国の延長の背景、国益、インターネット等の今後の情報流通へのあり方、他の利用円滑化のための方策がどのように措置されるのかといった点が挙げられているとした。


 その上で、諸外国が延長を行なった際の議論の動向としては、1993年にEUが加盟国に対し著作権の保護期間を死後70年とするよう求めた「EU指令」の内容を紹介。このEU指令の中では、保護期間を死後70年とすることについて、「加盟国間で保護期間に相違があると自由な商品の移動とサービスの提供が妨げられる」「著作権の国際条約であるベルヌ条約では保護期間を死後50年としているが、これは著作者からその孫までの世代を保護することを意図していたもので、平均寿命が長くなった現在では死後50年では不十分である」といった理由が挙げられているとした。


 また、米国でも1998年著作権保護期間延長法案を制定しているが、この立法の背景と理由については、「貿易収支の健全な黒字という経済的な利益を確保すること」や、「EU著作権法に米国の著作権法を実質的に調和させること」とされており、延長は新たな著作物の創作を促進するため長期的にはパブリックドメインの量を高めるとしているとした。


 このほか、議論のための資料として、平均寿命および出産年齢の変化、著作権に関する国際収支、著作権の保護期間に関する戦時加算の取り扱いなどに関する資料などが提示された。


● データベースの整備には実現性に疑問の声も(略)


● 「孫の代まで保護」することの正当性も議論に


 三田氏は、「著作権というのは私権であり、個々の著作者や著作権継承者の問題である」として、「一般論としての著作権といった全体を考えているうちに、個人の権利を侵害することがなるべくないようにしていただきたい」と主張。個別の例としては、「谷崎潤一郎江戸川乱歩といった作家は保護期間が10年以内に切れるが、文藝家協会が扱っている二次利用の分だけでも、現在でも年間数百万円という金額を遺族が受け取っている」といった状況を挙げ、「管理事業をしている者としては、できる限りの努力をして個人の権利を守っていきたいし、そうして権利を守っていくことが作家たちにとって死後100年でも人気のある作品を書こうというインセンティブにつながっていくと思う」と述べた。


 劇作家の平田オリザ氏は、「そうした2〜3人の作家の遺族のために保護期間を延ばそうと考えているのか」と質問。これに対して三田氏は、「決して1人や2人ということではなく、例えば二次利用の分配で100万円以上受け取っている遺族は100人以上いる」と返答した。


 東京大学教授の中山信弘氏は、「本当に著作権というのは孫の生活まで保証するものなのか」という点は考える必要があるとして、そうであれば平均寿命が伸びていることは延長の理由になるかもしれないが、一方では少子化によって権利の継承者は減っていくといった、様々な要素を考える必要があると主張。保護期間の延長については、「孫まで保護することによって創作のインセンティブになるのであれば保護すべきだが、そうとは思えない」と述べた。


 立教大学准教授の上野達弘氏は、平均寿命が長くなっているという問題については、作家自身の平均寿命も伸びているので相殺されるのではないかと疑問を提示。一方、孫の代まで著作物を保護することが妥当であるかという議論については、日本の著作権法でも著作者の孫までに著作者人格権の侵害に対する差止請求権が認められており、孫の代まで保護されるという考え方が取り入れられている部分があるのではないかとした。


● 「国際的な調和」の必要性についても論戦(略)


 次回の会合は9月27日に行なわれ、引き続き保護期間の問題についてさらに各論を検討していく予定となっている。


 この問題に関する私見は既に過去の記事で述べたとおりであり、それにはいささかの変更もない。


 著作権保護期間の延長をめぐるこの話で最も馬鹿げているのは、「著作権というのは孫の生活まで保証するもの」だという、延長賛成派が掲げる理由である。子ならまだしも、なぜ孫まで? そもそも子だって、なぜ子が、親の著作に由来する収入を受け続けてよいのだろうか。思うに、このような考え方には明らかに身分制肯定に通じるものがあると言わざるをえない。言うまでもなく、現行憲法は身分制を全く否定している。まともな民主主義国家であって身分制を肯定している国はないだろう。であるなら、子や孫にまで著作権の恩恵を及ぼすのは誤りである。


 ・・・といったことをさらに書き連ねてもよいが、しかし既に理屈は出尽くしていると思う。むしろ重要なのは、この議論を社会の片隅で行なわせておくのでなく、衆人環視の中で行なわせるようにすることである。こういう馬鹿げた議論が行なわれつつあり、その帰趨は我々の将来に大きな影を落とすことになるのだ、と。もちろん、メディアが最初から一方に肩入れする形で報道すれば、議論は歪められてしまうだろうが、そうでなく少なくとも或る程度公平性を保って両論の紹介がなされるなら、著作権保護期間の延長に対しては反対派が多数を占めるようになるのではなかろうか。少なくとも今のところは、私は日本人の良識に期待したいところである。


 なお、言うまでもないかもしれないが、このように書くことで私はもちろん、他のブログ作者諸氏におかれてもこの問題を取り上げていただきたいと、遠回しにお願いしてもいるのである。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。


追記
 「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」のページはこちら